戸賀編集長

ラグジュアリーファッションやスーパーカーのブランドのアンバサダーを勤め、それらのアイテムを身につけたりクルマに乗ったりしてメディアに登場するJ PRIME編集長 戸賀敬城。30年以上の編集者歴の間で、特に33〜50歳までにメンズEX、メンズクラブ、メルセデスマガジンなどの編集長を歴任。メディアが困難な時代に突入していたのにも関わらず、各媒体の業績を上げて来ました。その後、独立してWEBやブログを使って常に新しいモノ・コトを発信しています。そんな戸賀編集長のメディアへの思いや仕事への取り組み方を紹介しつつ、彼のモノ・コトの見方や評価の基準について紹介します。

第3回は、順調な“ギョーカイ人ライフ”を送っていた戸賀編集長に訪れた大きな転機についてお話しします。

「人生の転機のおかげで、モノ選びの大切さを認識しました」

------------2022年が始まりましたね。年末年始もバタバタしていたようで。

戸賀 改めて明けましておめでとうございます。J PRIMEがリニューアルしてもう三ヶ月が過ぎました。今年もニューリッチなオヤジに喜んでもらえる記事を作っていきたいと思っています。

------------編集長として改めて気合が入っていますね! 早速ですが、続きを聞かせてください。 Men`s Ex(以下、MEに略)編集長に上り詰め、「適材適所」を見抜いて「人の使い方」を覚えた戸賀編集長。MEを黒字化することができ、そのまま順調に行くかと思われましたが、急に世界文化社を辞めてしまいますよね? 

戸賀 広告やタイアップが順調に増えるにつれ、自分自身が有頂天になっていたのは確かなんですが…。段々と収支のことばかり考えなきゃいけなくなると同時に、ブランドや広告代理店の意向を優先するようになっていったんです。

それにメルセデスマガジンの仕事も重なったこともあって、かなり忙しくなってしまったのは事実。そうして“本当に自分がやりたかったこと”と、ME編集長の仕事、すなわち会社の意向とがズレてきたんでしょうね。さらに、会社の方針で別冊の『時計Begin』のテコ入れをする新部署にということで、異動になってしまったんです。

-----------むむっ、言ってみれば…適材適所は上手くやってきたのに、自分自身を適材適所に置くことをミスってしまったんですかね。

戸賀 う〜ん、そうかもしれませんね。あの当時は「やりたいことをやりたい」という強い欲求が、ず〜っと心の中で渦巻いていましたね。そのためには「改めて自分の価値を認めてもらうしかない」と、強く思っていたことを記憶しています。そんな鬱積した日々を送っていた時に…そう、今でも忘れません…ある高名なドクターと京都の名店で夕食を食べている時に集英社『UOMO』の当時の編集長から電話があったんです。で、エディトリアルディレクターとして、スカウトされまして。

-----------腐りかけていたときに絶妙なタイミングで電話が鳴る…!なんかテレビドラマか映画みたいな展開ですね。で、その時にUOMOに決めた理由は何だったんですか?

戸賀 理由はいたって単純でUOMOに行けば新しいこと、自分がやりたいことをやれると判断したからです。ちなみに給料も1.5倍になりました(笑)。実際、編集部で働き始めてまもなく、それまでの海外のモデルをやめて、メインのイメージモデルに阿部 寛さんを起用しよう。また、改めてUOMOはメンズノンノよりも年齢が上の雑誌として考え直そうと。 *イメージモデルは現在は変更されています

-----------なるほど! 常に新しいことに取り組む姿勢は変わらないんですね。

戸賀 でも…せっかくスカウトしていただいたのに、UOMOは1年と数ヶ月で辞めちゃったんですよ。というのも、ここも自分がやりたいことをやれる場所ではないと感じたからです。さすが集英社だけあって、編集費や経費は豊富にあって、外部クリエイターの規模もレベルもしっかりしていたんですけどね…。なんか、逆にそういう恵まれ過ぎた環境に戸惑ったというか…。貧乏性なんですかね(笑)。体育会系気質ということもあるかと思いますが。 悩みはじめた時にちょうど、ハースト婦人画報社(当時はアシェット婦人画報社)からアポがあって、そちらの環境に惹かれました。

-----------というと?

戸賀 なんたって外資系の会社ですから、シビアな実力主義。きちんとした成果を求められる厳しい環境で、シンプルに増収できなければ自分の席がなくなるという状況下において、自分の力を試してみようという気持ちが強かったです。外資系という不安もありましたが、自信もありましたよ。

----------なるほど。ME編集長を辞めた時に「自分の価値を認めてもらうしかない」と強く思っていたことを、このハースト婦人画報社で試そうとしたわけですね。

戸賀 そんな思いもあって『MEN`S CLUB』(以下、メンクラに略)編集長になったんですが…こう言ってはなんですが、当時のメンクラは広告含め、正直かなり厳しかった(苦笑)。なので改革からのスタートになったわけです。

-----------へえ〜、いい話ばかり聞いていましたが、最初は大変だったんですね。ところで、そのメンクラの改革のお話は後ほど伺いたいんですが…。その前に、この時は40歳を迎えた年でもあったと思います。モノ選びの価値観に変化などはあったんですか? なにやらメンクラ編集長就任時に、自分へのご褒美として高級な買い物をしたとか?

戸賀 おっと、凄い情報網ですね(笑)。確かに、40歳という人生の節目と、メンクラ編集長についたこともあって、エルメスのブリーフケース「サック ア デペッシュ」を買いました。当時はグレーのスーツにブルーのシャツ、レジメンタイといったスーツスタイルが主だったので、それに合わせるべく本格的なブリーフケースなのに色は血のような赤、エルメスレッドを選択。グレースーツの差し色として、エルメスレッドが似合うんじゃないかと思ってね。年齢や立場なども考えて、そろそろ持っていてもよいバッグではないかなと。

ところが…打ち合わせなど、どこへ行っても、誰に会っても「エルメスですか?」って聞かれるばかりで…まるで“鞄の人”になってしまったんです(苦笑)。完全に鞄に負けてしまいました。この時、「不相応」という言葉の意味を痛感しましたね(笑)。いやぁ、人と物のバランスが取れてないって、ホントにカッコ悪いんだなとわかりましたよ。年齢を重ねた今なら持てるかなとも思うのですが…今度はライフスタイルが変わってしまっている。もちろんずっと欲しかったし、名作ではあるのですが…一転クローゼットに眠るアイテムとなってしまいました。

----------高い授業料でしたね(笑)。でも、そうした経験(=勉強)が後々に活かされているんですね。戸賀編集長のモノ選び…クルマも時計もファッションも…って、決してブランドや価格ではなく、「本当に自分に合っているか?」が絶対的な基準ですもんね。「自分を上げてくれる」ことはありますが、ダメな人をいい人にはしてくれませんから(笑)。ほどよく格上げしてくれるモノとの関係性って大切ですね。 その基準の中には、機能性やデザインはもちろん、ライフスタイルや趣味嗜好に合うかどうかまで吟味しているのかと。

戸賀 正直ニューリッチの方々は、欲しいモノは大概買えてしまうと思うんです。でも…年齢や立場はもちろん、ファッションやTPOに応じてもモノ選びは変わってくる。例えば全然ファッションを気にしていないのにド級の高級時計をつけていたら、僕が10年以上前に鞄の人と思われたように「あの時計していた人って〜」という“時計の人”となるかもしれません。ラグジュアリーなモノやコトを選んでいくということは、トータルで考えないと周囲からの印象が逆にマイナスになってしまうことがあると僕は考えています。成功、失敗に限らず経験してきたことや、現在進行系で僕が学んでいることが少しでも皆さんの役に立てばなと。

世界文化社から集英社、そしてハースト婦人画報社へと、大きな人生の転機を経験した戸賀編集長。メンクラ編集長における新しいビジネスへの取り組みは、次回にお話ししましょう。

文 高 成浩


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