戸賀編集長インタビュー

ラグジュアリーファッションやスーパーカーのブランドのアンバサダーを務め、それらのアイテムを身につけたりクルマに乗ったりしてメディアに登場するJ PRIME編集長 戸賀敬城。30年以上の編集者歴の間で、特に33〜50歳までにMEN'S EX、メンズクラブ、メルセデスマガジンなどの編集長を歴任。メディアが困難な時代に突入していたのにも関わらず、各媒体の業績を上げて来ました。その後、独立してWEBやブログを使って常に新しいモノ・コトを発信しています。そんな戸賀編集長のメディアへの思いや仕事への取り組み方を紹介しつつ、彼のモノ・コトの見方や評価の基準について紹介します。

第2回は、戸賀編集長が22〜33歳までのお話。編集者のスタート地点となる雑誌BeginとCar EXから、初めて編集長を務めた雑誌MEN'S EX時代までを語ります。

Vol.1はコチラ “モテるギョーカイ”への憧れが、僕を編集業界へ導いた!?

「ページ作りの中から、人との繋がりと人の活かし方を学びました」

------------さて、世界文化社から内定をもらった戸賀青年は、優秀な大学を出ている同期に勝つためにすぐにBegin編集部でバイトを始めたんですよね。でも、まもなくしてBeginの兄弟誌、Car EXが創刊し、同じ編集部で2冊を作っていたかと思います。

戸賀編集長(以下、戸賀に略) まさにその時期で、学生バイトの立ち位置でしたが、2誌ともに携わらさせてもらいました。

------------いきなりCar EXの編集にも携われるなんてクルマ好きの戸賀青年としては願ったり叶ったりだったんじゃないですか。

戸賀 確かにそうですね(笑)

------------学生バイトでありながらその時にはもうポルシェに乗ってたんですよね?

戸賀 ポルシェに乗ってましたよ。それも「ポルシェと言えば911」なのに、あえてFRの944ターボを選んだんです。編集部の人たちには「プアマンズ・ポルシェじゃねえか」と言われましたし、口の悪い先輩は「4気筒なんて動くのかよ」なんて貶していましたね(苦笑)。

でも、まだまだポルシェのことはもちろん、クルマの走行性なんてわかっていない若造には、フラッグシップではない下のグレードが適していたし、パワーがあってハンドリングの良い944ターボの方がクルマの運動性を勉強しやすいと思ったから周りの批判的な声は全然こたえていませんでしたね。

-----------なるほど。「分相応」なクルマ選びとはいえ…学生でポルシェって(笑)

戸賀 中の下の家庭に育ちながらというと卑下しすぎかもしれませんが…とにかくバイトを頑張って買ったんです。勉強よりとにかくお金を貯めることに注力した学生時代でした(笑)

-----------しかも聞くところによるとキャッシュだったそうじゃないですか!?

戸賀 本当に一生懸命バイトをしましたよ(笑)。バブルの恩恵もあると思いますが。

-----------ポルシェを買ったことはその頃の仕事に影響しましたか?

戸賀 自動車評論家の徳大寺有恒さんから「バイトでポルシェに乗っているやつがいるらしいじゃないか」と覚えてもらえたこともプラスでしたね。当時世界的にも活躍されていた方でしたから。それが一バイトを記憶してくれるなんて、ポルシェのおかげなことは間違いありません。

-----------モノを味方につける“他物本願”みたいなことはもう確立されていたんですね。

戸賀 とはいえもちろんそれだけではありませんよ(笑)。当時は今のようなエコとか燃費とかなんて、クルマの評価基準にはありませんでした。とにかく速いことがすべてで、またドライバーも速く走れることがカッコいいとされていました。なので911よりもバランスがよくパワーもあって、運転のしやすい944ターボは、速く走ることがすべてだったあの時代では最良の選択だったと今でも思っています。
当時のカーグラフィックで世界一のハンドリングマシーンだったかコーナーリングマシーンとして紹介されていたのも刺さっていましたね。

-----------その後正式に配属となったあとも944ターボに乗っていたんですよね。若干22歳でポルシェなんてさぞかしモテたんじゃないですか?(笑)

戸賀 いやいや…あのときは同期に負けると思っていたからバイトながらにページ作りにも参加させてもらっていたので、正式に配属になった時点では担当ページもBeginとCar EXで10ページほどやっていました。とにかく当時はひたすら働いていたので、ポルシェに乗れるタイミングなんて通勤と週末しかなかったですよ。

でも前述のような速く走るためにはというモノ選びがあったからか、Car EXで「だったらドライビングスクールの特集をやろう」ということになって、ポルシェドライビングスクールを取材したり、タイヤメーカーが主催するドライビングレッスンを取材したりしましたね。また、B級ライセンスやA級ライセンスも雑誌の企画で取得することができ、しかもクルマメーカーが主催するメディア対抗の耐久レースにもCar EXチームで出場することもできました。忙しい毎日のなかでも仕事と趣味が一緒だったこともあり、とても楽しかったですね。

---------へえ、Car EXって走り屋系の雑誌だったんですか?(笑)

戸賀 いえ、全然違いますよ(笑)。新車情報やそのクルマの走行性能…アンダーステアがどうのこうの、オーバーステアがあ〜だこ〜だというのは、モータージャーナリストの試乗インプレッションに任せて、僕ら編集部が作る特集ページは「クルマをどのように楽しむか?」とか「クルマをカッコよく乗るにはどうしたらいいか?」「どのように乗っていたら女性にモテるのか」など、新しいカーライフやスタイルを提案していました。
なのでキーホルダーなどの小物から、オープンカーに乗るための上半身コーデ、外から見える腕時計の選び方(右ハンドルなら右腕につけるという提案など)という特集をやってましたよ。

---------う〜む。戸賀編集長ってベントレーに乗っても決してブランドを前面に押し出したりせず、またマクラーレンに乗っても決してパフォーマンスばかり語らないのは、Car EX時代に培った“クルマの楽しみ方”が今でも息づいているからなんですね。

戸賀 そうですね。仕事でもプライベートでもいろいろなクルマに乗り続けてきたので、クルマに関する見識眼は鋭くなったと思いますよ。ミーハーといえばミーハーですし、リッチ風でもある。そういった経験を生かして、J PRIMEを見てくださる方々に充実できる「クルマ生活」も提案したいと思っています。

-----------素晴らしい! さて、大好きなクルマをテーマに楽しく、順調に編集者人生を送っていたワケですが…。

戸賀 いやいや、ちょっと待ってください。そんなに順調ではなかったんですよ。Car EXが季刊から隔月、そして月刊になっていったんですが、正式配属後5年程度たったとき、27歳くらいのときには60ページ以上も担当していたんです。同期でもここまでページを任されていた人はいなかったと思うので、努力してきたことが実ったかなとも思っていました。

でも…それこそ都内でロケをやり、箱根で試乗をやって、合間に撮影用のブツ(ファッションやギアなど)集めをやって…ヘトヘトの毎日だったんです。これじゃあ遊びにも行けない…いや、しっかり遊びには行ってましたけどね(笑)。

-----------戸賀編集長は今でも“遊ぶ”ことを重視していますよね!? J PRIME編集部の若手にも、「飲み会には積極的に出ろ」と言ってるそうですね。

戸賀 飲み会に出ろ、というよりはランチでもゴルフでも、今のご時世ならZoomでもいいから、人にたくさん会って会話することが大切だと伝えています。プライベートな会話ができるくらい人に溶け込む、要するに人たらしになったほうがいいぞと。

仲良くなってからビジネスの話をしたほうがお互い腹を割って話せるからきっといい結果にも繋がると思うんです。ビジネスの結果ありきで仲良くなるってどれだけの結果を出せばいいのか…これはもはや基準がありませんよね。お互い言いたいことが言える間柄になってからビジネスをしたほうが、想像以上の結果が生まれることが多いと僕は考えています。

----------毎日のように人とゴハンを食べに行くのにはそんな理由も…! いやぁ、感服しました。で、そのCar EXが休刊になって、今度は大人のファッション総合誌『MEN'S EX』に移るんでしたっけ?

戸賀 いえいえ。正確にはCar EXから異動して岸田編集長と一緒にMEN'S EXTRA(後のMEN'S EX)の創刊に携わることになりました。
そして会社の事情で創刊をやった後、Car EXに戻ることになったんです。これが20代後半のときですね。その後30歳くらいのときにまた平部員としてMEN'S EX(読みはメンズ エクストラ)に戻り、32歳で同期と一緒に副編集長になりました。
Begin、Car EXを経験していたおかげで、代理店や業界の方に友達もたくさんいました。それだけでなく、ファッションや時計の知見も見についていましたね。自分が好きだったジャンルだったこともありますが。ミーハーでよかったなと思っています(笑)。そして副編集長を1年務めた後に、33歳で編集長となり、誌名もMEN'S EX(メンズ イーエックス)に変更しました。

----------その頃って、岸田さんが別の出版社に行って『LEON』を立ち上げ、男性ファッション誌がブームになってた時代ですよね? 「MEN'S EX編集長・戸賀」としては触発されていましたか?

戸賀 もちろん影響はありましたが、編集長としてとにかく頑張らなければという気持ちのほうが強かったですね。平の編集部員のとき、30歳にさしかかったくらいからはテーマを幅広くもっていたのと、ページを作るだけが編集者の仕事ではないと思っていたんです。当時はスタイリングから原稿まで自らおこなうという編集者が一般的でしたが、これからはそれも変わり、編集者もビジネスをしなくてはいけないと思っていました。なのでアイディアや構成を考え、各ジャンルのプロを使ったページ作りをしていたことが、編集長としての業務にも活きてきましたね。誌面を作ることにも力をいれましたが、編集長となってから広告ビジネスに一層力を入れて奔走した記憶があります。
男性ファッション雑誌の編集長としてもっと視野を広げなくてはならないという思いも強かったですし、広告ビジネスがとても面白く、手応えも感じていました。いいページを作り、モノを売って広告に繋げる、メディア、広告、ブランドの三角形の面白さとたくさんの可能性を知りましたね。

また、ラグジュアリーブランドやセレクトショップ、まだ目新しかったメンズコスメ業界にも出会い、大手代理店と交友を深めるなど、とにかく付き合いを広げ、僕自身とMEN'S EXという媒体を信頼してもらうことを心がけました。おかげで広告やタイアップが増え、編集長就任1年目にしてMEN'S EXを黒字にすることができたんです。

----------MEN'S EX 編集長としては大変なスタートだったんですねぇ。

戸賀 苦労はしましたが、前に進むだけだったのでLEONの岸田さんの背中を見て突っ走りましたよ。黒字がほぼほぼ決まった数週間後にメニエール病で倒れて、人生ではじめて入院しましたが(笑)

----------肩書が変わった1年目は誰しもが苦労するものなんだなぁ。かっこよくというだけじゃなく、身体も酷使してたんですね。戸賀編集長の仕事ぶりって、「人と人との繋がり」を大事にして、「その人の魅力(能力)を生かす」ことを心がけていますよね。また、人を見る眼も確かでしょう。戸賀編集長は若い頃からクルマやファッションを独自の視点や基準で見抜いてきたことも、後々の人との付き合いに活かされているんじゃないでしょうか。まぁ、人とモノを比べちゃうのは失礼かもしれませんが。

Begin、Car Ex→MEN'S EXTRA→MEN'S EX(メンズ エクストラ *英字のみ変更期)→MEN'S EX(メンズ イーエックス)編集長、メルセデスマガジン創刊編集長兼任と、七転八倒な編集者人生を送っていた戸賀編集長。その後編集者人生の大きな転機を迎え、また新たなステージにも。そこではどのようにモノやビジネスに向き合っていたのでしょうか。そのことについては、次回にお話ししましょう。

文_高 成浩


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