インタビュー

ラグジュアリーファッションやスーパーカーのブランドのアンバサダーを務め、それらのアイテムを身につけたりクルマに乗ったりしてメディアに登場するJ PRIME 編集長 戸賀敬城。編集者歴は30年以上、33歳から50歳までの17年間、メンズEX、メンズクラブ、メルセデスマガジンなどの編集長を歴任し、メディアが困難な時代に突入していたにも関わらず、各媒体の業績を上げた後に独立。

巷では「彼ってどういう人なの?」という疑問や、「目立ちたがりなのかしら?」という誤解が氾濫!? 「んじゃあ、いっそのことすべてを語ってしまおう」というコトで、戸賀編集長のメディアへの思いや仕事に取り組む姿勢を絡めつつ、自身の業界ヒストリーを赤裸々に発信! モノ・コトをどのような考え方や視点で選んできたのかという遍歴もお届けしていきます。 

第1回は学生時代から就活活動までを語ります。

「若い頃の僕って、コンプレックスの塊でしたね」

戸賀敬城は1967年に東京・羽田に生まれます。その後、14歳の時に父親を亡くし、母一人弟一人という家庭環境で育ちます。子供の頃の住まいが東京の下町・足立区だったという背景もあり、また折しも横浜銀蝿が流行った時代でもあったので、グレてもおかしくありませんでした。ただ、母親方の叔父さんが行末を心配し気にかけてくれたそうです。

戸賀編集長(以下、戸賀に略) 僕は「羽田生まれ足立区育ち」なんですよ。これが「西麻布生まれ世田谷区育ち」だったら、とてもお洒落なんでしょうけどね(笑)。まぁ、コンプレックスを感じてないと言うと嘘になりますが、あとあとこれが僕の編集者としての励みになるので、別に卑下するつもりもありません。

----------それにしても、一歩間違えたらアウトローな人生を送っていたかもしれない環境だったんですね。

戸賀 そうですねぇ…。母親が女手一つとはいえ、そんなに不自由を感じることなく育ててくれたことには、本当に感謝しています。それに叔父さんの存在が大きかったと思います。叔父さんは当時、集英社の編集者で『週刊明星』や『週刊プレイボーイ』でバリバリに働いていたんですが、中学生の僕を家に呼んでメシを食わせてくれたりして、何かと世話してくれたんですよ。

叔父さんの家に行くとマンガや雑誌がたくさんあったので、それを熱心に読んでいましたね。おかげでグレることもなく、地元の都立高校に進学することができました。

ホント、叔父さんにも感謝しています…が、叔父さんはファッションにはそこまで気を使っていませんでしたね(苦笑)。何しろグダグダのジーンズにサンダルで平気で仕事をしてるんですから。

これを見ていて、編集者の自由なライフスタイルがいいなと。編集者の自由な時間や自由な服装に憧れたんです。ただ叔父さんのファッションには賛同できませんでした(苦笑)。

そんな叔父さんの服装を見てというわけではないのですが「大人になっても服装には気を使おう」と思っていました。ファッションはもともと好きでしたし、進学した高校がまた異色で、私服だし、女子率が6割を超えていたんです。幼い頃はガキ大将で太っていた僕も中学生くらいから痩せ始めて、高校入学時にはすっかりスマートになってモテちゃったもんですから、グレてる暇なんてなかったんですよ(笑)。

さらに当時はジャニーズのアイドルの人気が出始め、アメカジブームやDCブームも全盛。そのなかでの私服の高校生活は制服では味わうことができないファッションの楽しさにどんどん触れることができました。加えて校門に20〜30人くらいの女子が出待ちしていたり、電車でも話かけられたりしましたからね(笑)。それで一層ファッションっていいなと。

-------------なるほど。現在の戸賀編集長のアイデンティティって、もしかしたら少年期の出来事のコンプレックスなのかもしれませんね。だって、幼年時代はデブでジャイ●ンみたいでモテなかったんでしょ!? それが高校時代に変身して一気に爆発し、さらに大人になってもまだモテようとしてる……。健康に気を使っているのも誰かの影響?

戸賀 若く(49歳)して死んだ父親を筆頭に、戸賀家は早死にしてる人が多いんです。副編集長になる前に叔父も病で他界していて…どうやら“早死の血統”を受け継いでいるかもしれないので、20代のときからサプリを欠かさなくなり、30代からは人間ドックを年2回、40代からはジムにも通うようになりました。

------------さて、ユル〜い青春時代を過ごした戸賀少年は、そのあとどうなるんですか?

戸賀 確かにユル〜く生きてたんで(笑)、大学進学もその先の就職についても真剣に考えていませんでしたね。だから、フラフラと大学に進学したんですよ。ところが、在学中にイベントのバイトをした際に、「なんか、こういう華やかな感じっていいぞ」と思い始め、就職活動時には急に“ギョーカイ”に憧れるようになったんです。きっと若い頃に叔父さんの編集の仕事を垣間見てたからでしょうね。実際、週プレの編集プロダクションでバイトをしていた時期もありましたし。

-------------で、どんなギョーカイを狙ってたんですか?

戸賀 とにかく広い意味での“ギョーカイ”、いわゆるメディアに憧れていたので、それこそテレビ局も受けたんですよ。某テレビ局の面接では当時のバラエティ番組の新しい可能性を提案したりしていいところまで行ったんですが、最終の面談で有名キャスターからバキバキと厳しい質問攻めをくらって落ちちゃいました(苦笑)。

出版社はクルマが大好きだったこともあって、『カーアンドドライバー』も受けました。でも、ファッションも好きだったし、若い人向けの雑誌の方が自分に向いてると判断して、当時人気急上昇だった『Begin』がある世界文化社がいちばん狙い目でしたね。

-----------へ〜、テレビ局でバラエティの新しいカタチを提案するなんて、常に新しいモノ・コトを提案する今の戸賀編集長のスタイルそのものじゃないですか。
ところで、戸賀編集長もあの頃は、きちっと「就活スーツ」を着てたんですか?

戸賀 どんでもない! スーツはエンポリオ・アルマーニ、同じくエンポリオの薄いピンクのシャツを着て、ネクタイはエルメス、靴はコールハーンの焦げ茶、時計はロレックスのデイトジャストのコンビ、それにハンティングワールドのクラッチバッグで世界文化社の面接を受けました。バブルだったからこそできた格好とはいえ、周りの冴えない就活スタイルの中で、ちょっと浮いてたかな(笑)。

----------う〜む、嫌なヤツですねぇ(笑)。で、すんなり世界文化社に入れたんですか。受かったとしても…聞くところによると、世界文化社って有名大学卒じゃないと、編集部に配属されないとか!?

戸賀 この就活のスタイルも、僕のコンプレックスの表れかもしれません。学歴勝負…となると厳しいですから、少しでもアピールしないといけないという思いが、このスーツやバッグに象徴されていたのでしょう。僕はこの時期からず〜っと思い続けているんですが…「コンプレックスを持つことは悪いことではない。良くないのはそれから逃げることだ」と!
でも、世界文化社の面接は、凄く悪い印象だったんですよ。だって、中央に座っている当時の社長が目をつぶって考えこんでいるように見えましたから。ところが、面接が終わる寸前にその社長が隣の総務部長に耳打ちされたんですよ。すると、部屋を出た僕を総務部長がBegin編集部に連れて行ってくれたんです!

岸田編集長のデスクの隣に座り、面接というよりミーティングみたいな感じです。ほかの編集部員さんもいなかったので、マンツーマンでしたね。

----------おぉ〜っと、そこで当時の岸田編集長と運命的な出会いをしたんですね。聞くところによると「ポルシェに乗ってます」って言ったから、合格したとか!?

戸賀 いや、その時はまだポルシェを買っていません(苦笑)。その情報はかなり先走ってますね。
岸田さんとの出会いがまた強烈で、隣に座った僕のスーツの襟をいきなり掴んで、「アルマーニかよ。お前凄ぇな」って言うんですから(笑)。

それからクルマの話やファッションの話を結構長い時間したと記憶しています。そのおかげで9月に内定を貰うことができたんですが、岸田さんにお礼の電話を入れたら「明日から編集部でバイトしろ」と言われました。最初は「え〜、いきなりかよ」とビックリしたんですけど、「同期のヤツらは優秀な大学だから、そいつらと同じスタートでは勝てない」と思って、翌日からバイトに行くことを決めました。

------------正式な入社前からBegin編集部でバイトしたのも、コンプレックスに関係しているんですね。つまり学歴というコンプレックスを受け入れ、そこから逃げないでコンプレックスに打ち勝つという積極的な行動だったんですね。

いよいよ戸賀敬城の華々しくも波乱万丈なギョーカイ人=編集者人生がスタートします。Begin編集部から始まる第一歩は、次回にお話ししましょう。

着用衣装:ブラックジャケット¥93,500 ラルディーニ、パンツ¥36,300、チルコロ 1901/ともにトヨダトレーディング プレスルーム https://www.toyodaco.jp
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文_高 成浩


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