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戸賀編集長 人生の履歴書 Vol.4

ビジネスの幅を拡大させ、今に繋がるWebの活用を始めたMEN’S CLUB編集長時代

2022.01.31

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ビジネスの幅を拡大させ、今に繋がるWebの活用を始めたMEN’S CLUB編集長時代

ラグジュアリーファッションやスーパーカーのブランドのアンバサダーを勤め、それらのアイテムを身につけたりクルマに乗ったりしてメディアに登場するJ PRIME編集長 戸賀敬城。30年以上の編集者歴の間で、特に33〜50歳までにメンズEX、MEN’S CLUB、メルセデスマガジンなどの編集長を歴任。メディアが困難な時代に突入していたのにも関わらず、各媒体の業績を上げて来ました。その後、独立してWebやブログを使って常に新しいモノ・コトを発信しています。そんな戸賀編集長のメディアへの思いや仕事への取り組み方を紹介しつつ、彼のモノ・コトの見方や評価の基準について紹介します。

4回目は、『MEN’S CLUB』でスタートさせた新しいビジネス活用法ついてお話しします。

「ブログを勧め、Webへの道を確立してくれたスタッフに感謝しています」

———— 前回は『MEN’S CLUB』(以下、メンクラに略)編集長に就任した仕事ぶりをお聞きしようとしたんですが、ちと脱線してエルメスの「サック ア デペッシュ」の話題になってしまいました。でも、その話のおかげで分不相応なモノ選びとは?がわかった気がしています。 さて、メンクラ編集長就任早々、業績アップと事実上のリニューアルに取り組んだんでしたっけ?

戸賀 そうそう。ハースト婦人画報社(当時はアシェット婦人画報社)の社長から、「2年間でメンクラの業績を改善してくれ」と言われまして。その言葉の裏には「2年間でダメだったら、お前もダメだよ」という意味が含まれていると感じ取っていました。正直怖さもありましたが、自分で選んだ道なのでここは勝負に出ようと。改めてメンクラの立ち位置や向かいたい方向も整理しながら、誌面作りだけでなく、広告ビジネスにも一層力を入れていきました。

———-編集長とはいえ安泰ではなかったんですね…。

戸賀 そうですね。まずはメンクラをクラスメディアに格上げすることに着手しました。自分たちが若い頃に憧れた雑誌であることは間違いないのですが、時代に合わせて変わる必要があったと思うんです。ターゲットを30代後半にシフトし、世帯年収が1000万円前後の会社勤めのサラリーマンオヤジをターゲットにやっていくことにしました。部数を上げ広告収入を得るためにはラグジュアリーの世界に足を踏み入れることが必須。このターゲットにとってのラグジュアリーとは?を常に考え読者にもクライアントにも提案していきました。

———-結構な大改革ですよね。もちろん編集作業も並行してこなしていたと思うんですが、結局のところ業績アップの約束は果たせたんですか?

戸賀 徐々に広告が入ってきて、1年目で業績を上げられたんですよ。編集部も営業も「こりゃあ2年目もガンガン行くぞ〜」って盛り上がったんですけどね…。そのときに忘れもしない2008年9月の悪夢、リーマンショックが起きたんです。すべての雑誌が大打撃を受けましたが、ハースト婦人画報社も例外ではなく、一転、厳しい事態に陥りました。 しかし、まだメンクラが良かったところは、「Web」に力を入れようとしていたタイミングだったこと。僕が編集長になった時から、会社からは「Webをやりなさい。すぐにWebの時代が来るから!」と言われていたんです。でも、当初、僕はWebのことは何にもわからなかったし、むしろ「Webがあるから紙(=雑誌)がダメになるんだ」と思っていたくらいでしたから。この時に考えを改めて、Webのコンテンツとビジネスに改めて向き合いました。結果的に媒体としては早い段階でWebが確立されていくことになり、数年後によかったと思える状態になったのですが、このときは無我夢中でしたね。

———-Webですか。「世界中どこにいてもコンピュータなどによって情報を得ることができるシステム」ですね。もともとはスイスの研究機関『CERN』が自分のところに出入りしている多くの研究者のために、情報を簡単かつスムーズに閲覧できる手段として開発したシステムですね。確か1991年に誕生したんじゃなかったかな。

戸賀 とは言っても、TwitterやFacebook、Instagramといったソーシャルネットワークシステムはまだそこまでじゃなく、ブログが盛んに活用されていた時代でしたから、メンクラの代表として僕のブログを立ち上げようという話になっていきました。当時は言われるがままって感じでしたね(笑)。

———おお〜っ、例のタイトル横に戸賀編集長がゴロンと寝そべっていたヤツですね。確か「ハンサム編集長」ってキャッチフレーズでしたっけ?(笑)

戸賀 笑わないでください!  ブログってヘッダーデザインが横長なので、自分の顔だけじゃなく全身を入れようとすると寝そべるしかなかったんですよ。それに「ハンサム編集長」という意味ではありません! 当時のメンクラのキーワードだった「ハンサム・リッチ」をタイトル横に掲げていたんです。あくまでもメンクラの代表としてのブログですから。 まぁ、Webもブログも何にも知らなかったので、本音を言うとスタートしたころはすごく嫌でした(笑)。でも当時の若手スタッフの言うとおりに行動した結果、良い意味でも悪い意味でも、このブログが業界で話題になり、1日3000〜5000PVになっていったと思います。

———へぇ、スタートして間もないときでも一日3000〜5000PVあったんですね。当初はどんな記事をアップしていたんですか?

戸賀 若手の部員からは「なんでもいいから、ブログで発信しろ」と言われたので、まずは自分の生活を小出しにしてアップしましたね。毎日の日記風だったのにPVが伸びていったんです。当時は紙媒体の人たちのなかで、ブログはもちろん、Webの活用にピンときている人が少なく、やっている人もほとんどいなかった。裏方である編集者がWebを使って自ら発信していくというスタイルに関しては、今でこそ一般的ですが当時は珍しかったんだと思います。 とはいえ「自分は編集長であって、ブロガーではない」という意識は当時も今も変わりません。

———-乗り気でなかったブログでありながら、ずっと続けられた理由はなんですか?

戸賀 シンガポールにロケに行ったのがきっかけだったかなぁ…。その旅行のことをアップした時、ボッテガ・ヴェネタのバッグを載っけたら、物凄く反響があったんです。その時、「あれ? これってビジネスになるんじゃないの!?」と、ピンと来たんです。雑誌を読んでくれている方だけでなく、もっと多くの方が見てくれているという実感を得ることができました。こうやって広げていくこともできるんだなと。アイテムだけでなく、メンクラだってもっと多くの人に見てもらうきっかけになるかもしれないと思いましたね。 Webに注力というと漠然としていますが、より多くの人に見てもらう、知ってもらうと考えたら間違いなくWebでした。2022年の今となっては当たり前になっているので、時代の流れの速さも感じますね。

———-なるほど。ご自身のブログに載せれば、なにかしらの反響があるワケですからね。戸賀編集長に何かをプレゼントした人も、喜ぶでしょう。さらには、メンクラの誌面に出ている服や靴、時計などもブログに載せれば、どちらとも相乗効果を得られるでしょうし。う〜む、それがブログを活用した「ビジネスの拡大」ということですね。

戸賀 当時はそんなイメージでしたね。メンクラのコンセプトに合ったものはもちろん誌面に掲載して、さらにブログでも紹介していました。一方で編集長としての自分を知ってもらう内容もアップしていましたね。メンクラ読者よりジジイだった自分の好きなものはトガブロ。だけで載せてみたりと。それをファッション、時計、クルマ、レストランと、幅広くアップしたこともよかったのかもしれません。 一方でリアルな場も提供しなくてはという意識もあったので、Webだけでなく、イベントにも取り組んでいきました。そのくらいからSNSもはじめ、イベントの募集に活用するなど、結構先駆け的なことをやっていたと思います。

———ほほう、クライアントとしてはメンクラに掲載されると、ブログやイベントでも紹介してもらえるから、二重に嬉しいですよね。しかも、ブランド側としては自社の商品の反響がすぐに分かるというのもいい。

戸賀 まさにソコです。Web=ブログの良いところは、「すぐに評価が分かる」こと。そして、「すぐに何がウケるか分かる」ことも重要です。こうしたブログやWebの本当のメリットを、まだまだ理解していない業界人が多いと思っています。SNSやWebの進化はとどまることを知りません。一般のサラリーマンだって場合によってはメディア以上の反響を出せる時代です。とはいえ業界人だからこそ発信できる情報も多くあるので、正しく上手に活用するべきだと思いました。

———そうですねぇ。大企業でもただ単に自社のサイトを立ち上げているだけのところがほとんどですからねぇ。ちなみに、トガブロは現在、アメブロ利用者約440万人中、人気100位前後、ファッショニスタ部門3位と聞いておりますが?

戸賀 おかげさまで今でもブログの人気は安定しています。ブログ全般は一時ほど勢いがないかもしれませんが、それでもこれだけの人が来てくれる、わざわざ見に来るってすごいことだと思うんです。インスタを見てくれる人の85%以上が男性で、しかも35歳以上が一番多い。嬉しいことですね。 当時の話に戻すと、リーマンショック以降、数年でメンクラの業績も約3倍にすることができました。それもこれもハースト婦人画報社のアドバイスと、当時の編集部員、ブログのサポートをしてくれた部員、いくつものイベントを企画&開催したスタッフなど、たくさんの人のおかげ。僕は彼らの言うとおりに動いてきたようなもんです。さまざまなことを学ばせてもらいましたし、彼らには感謝していますよ。

——–戸賀編集長は以前にも、「人との繋がり」や「人の使い方」の重要性を説いていました。ビジネスには「人」が大切なんですね。それと、戸賀編集長は運というか、時代にも恵まれているんじゃないかと思います。Webが発展途上だったときに向き合うきっかけができたりと。タイミングを逃さない、固定概念にしばられず挑戦するというのはやっぱり大切なんですね。

Web=ブログを上手に活用し、ビジネスを拡大した戸賀編集長。イベントや広告&タイアップなどでメンクラの業績もアップさせるなど、ギョーカイ人として順調に活躍している中、さらに自身の飛躍のために独立を決意! そこに秘めた思いや、独立してからの活動ぶりについては、次回にお話ししましょう。

文_高 成浩

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