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ジラルデ氏から受継いだスペシャリテ「鴨のコンフィ」

2022.09.09

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ジラルデ氏から受継いだスペシャリテ「鴨のコンフィ」

記事提供:料理王国

名古屋の歴史的景観保存地区・白壁に2004年にオープンした、「ラ・グランターブル・ドゥ・キタムラ」。「シャルル・バリエ」「ジャマン」「タイユバン」をはじめ、スイス銀行の金庫を破るよりも難しいと言われたスイスの三つ星「ジラルデ」など、数々の名店で修業を積んだ、北村竜二氏がオーナーシェフを務めている。

「ラ・グランターブル・ドゥ・キタムラ」提供:Grand Table Kitamura
北村竜二オーナーシェフ

ロブションの父とも呼ばれたトゥールの三つ星、シャルル・バリエ氏の元から、ロブション氏自らが腕を振るった伝説のレストラン「ジャマン」、そして「タイユバン」。スイスの三つ星「ジラルデ」ではスーシェフを務めるなど、13年間のヨーロッパ名門での経験を生かして、故郷岐阜県に近い名古屋のミクニナゴヤの料理長を3年間務めた後、独立。
中部電力元会長の邸宅を改装した店は、風情ある佇まい。同じメニューはリクエストがない限り2度は出さないなど、徹底してお客様に合わせたオート・キュイジーヌをモットーとしている。

店内インテリア 提供:Grand Table Kitamura

北村シェフが受継いだジラルデ氏の料理哲学

三つ星揃いの名店での修業の中でも、一番影響を受けたのは「厨房のモーツァルト」と呼ばれたフレディ・ジラルデ氏。同じ地域の他のレストランと重ならないよう、他の珍しい食材をパリから取り寄せて、空港にまで自ら受け取りにゆき、ギリギリにサービスに間に合わせる。シンプルでありながら、その時その時の発想で、素晴らしい組み合わせの料理を作ることに感銘を受けた。既成概念にとらわれない、「スポンタネ」と呼ばれるジラルデ氏の当意即妙な料理スタイルは「同じ料理を出さない」「既製品を使わず、新鮮な食材を使った手作り」という哲学として、グランターブルキタムラに受け継がれている。

スペシャリテ「クロワゼ種の鴨のコンフィ」の作り方

今回は、そんなジラルデ氏のスペシャリテ、「クロワゼ種の鴨のコンフィ」の作り方を教えていただいた。

「クロワゼ種の鴨のコンフィ」の食材

クロワゼ種は、マガモの雌とアヒル(採卵用のカーキーキャンベル種)の雄の交配種で、マガモのしっかりとした赤身の旨味と香りに柔らかさが加わっている。北村シェフは、ジラルデで使っていたのと同じ、このクロワゼ種を使用。

油を敷いたフライパンに鴨を入れ、中火で15分ほど焼く。
同じフライパンに、鴨の首ツルと玉ねぎや人参、セロリなどのミルポワとライムの皮を加え、焦がさないように焼く。
余分な脂を取り除き、野菜のブイヨンと鴨フォン(鴨の骨を焼いてミルポワを入れ、煮出したものに少量のフォンドボーを加えたもの)を加える。
時々キュイソン を表面にかけながら焼いていく。
照りが出てきたらオーブンへ。焦がさないように気をつけ、途中で15分に一度位、キュイソンをかけながら、合計40分程ほどじっくりと火を通してゆく。オーブンの最後の5分10分は乾燥させて、膜を張るようなイメージで皮目をパリッと焼き上げる。煮詰まってきたら、野菜のブイヨンを加えて濃度を調節する。
フライパンでバターを溶かし、刻んだニンニク、パセリ、タイムを加える。焼き上がった鴨の表面にかける。
ジラルデさんからもらったサイン入りのオリジナルの皿に盛り付ける。
ジラルデさんからもらったサイン入りのオリジナルの皿への盛り付け。

クーリ・ド・アンディープ(アンディープをペイザンヌに切ってライムジュースと塩胡椒、少量の砂糖を加えてソテー、最後にバターを加えたもの)を敷き、その上に鴨をのせる。上には、ライムの果肉と湯通しして苦味をとったライムの皮のジュリエンヌ(細切り)を添える。サイドにはセルクルで形作ったグリーンサラダと、グランターブルキタムラのシグネチャーでもある、薔薇の形に切った色とりどりのじゃがいもを飾る。

「クロワゼ種の鴨のコンフィ」の一皿

古典ではオレンジのソース、最近では赤い色素を持つベリー類やビーツなどと合わせることも多い鴨だが、ライムの軽快でありつつフルーティなバランスが心地よい仕上がり。

ジラルデ氏のソース、味の決め手

「タイユヴァンでは、骨は焼かずに、ブランシールして使う。ロブションさんはフォンに仔牛の脚を入れるとか、それぞれに特徴があるんですが、ジラルデさんのソースの味の決め手は、デグラッセの際に贅沢に使う白ポルト。常に『ソースをもっと丸めなさい』と。ジラルデさんの味覚は抜群で、意表をつく組み合わせも美味しく仕上げる。ソワニエがきた時には、鍋にあるソースを2つ3つパッと調合して、新しくソースを作る。そんなところも、すごいなと思っていました」。

シャープで尖った味ではなく、やや甘めの優しい味で、雑味が全くない。「ジャマン」「ジラルデ」での先輩にあたる、「モナリザ」の河野透シェフも「飲めるソース」と絶賛したという。

「雑味を出さないために、短時間でパッセする。食材の綺麗な味のところを使うイメージです。冷やして取り除いた表面の脂を別の器にとっておいて、ソースの風味が足りない時に足したり、野菜のブイヨンを使ったりして味を調整します。オマールを調理する際のムイエですとか、野菜のブイヨンは、とにかくよく使いました。もちろん、うちもそうしています」

ジラルデ氏から北村シェフへ、さらに引き継がれていく系譜

丸くて優しいソースは、ジラルデ氏の人柄とも重なるという。「ジラルデさんの家族の食事を作っていたので、ジラルデさんのおばあさんにも、まさに家族ぐるみでよくしていただいていて、私にとってジラルデさんはスイスの父のような存在です。私は小学校3年の時に父が亡くなって、それ以来、日本で父親代わりで世話をしてくれた方がいるのですが、修業中にその方が危篤になって。ジラルデさんに話すと、すぐに飛行機のチケットを取ってくれました。『すぐに日本に帰れ、部屋は空けておくから、過ごしたいだけ日本にいて、いつでも帰って来い』と」。そんな温かい人柄は、自身の手本にもなっているという。

ジラルデ氏と 提供:Grand Table Kitamura

そんな北村シェフを慕い、巨匠たちのシグネチャー料理や、その系譜を引き継いだ北村シェフのクリエイションから学びたいと訪れる、シェフや飲食関係のプロがひきもきらない。筆者の友人も、つい先日「ジラルデのシグネチャーコース」を事前に予約し、感銘を受けて帰ってきた。

フランス料理の根幹はソースと火入れ、と語る北村シェフ。肉や魚など、料理の火入れは基本的にガス下オーブンを使う。

「この料理はロティブレゼですが、低温調理が主流の今は、ブレゼという言葉を知らない料理人も多いのではないかと思います。こういった『ちゃんと火を使う』調理法は残していきたいですし、きっとまたこういう料理に、時代が戻ってくるのではないかと思います」

ヨーロッパ修行時代の北村竜二シェフ、巨匠たちとのエピソード

北村竜二シェフ

1964年生まれ、岐阜県出身。16歳で料理の世界に入り、17歳の時に、研修旅行で訪れたヨーロッパの三つ星レストランでの食事、マルシェでの野菜のおいしさにも感動し「次は仕事でここに戻ってくる」と決意。語学学校に通うなどしてしっかりと準備し、22歳、1986年に渡仏。名店「シャルル・バリエ」を皮切りに、ヨーロッパ各地の三つ星で13年に渡る修業を重ねた。

シャルル・バリエから、ロブション氏の店「ジャマン」に移るが、週末には、トゥールのシャルル・バリエに戻って手伝いをし、バリエ氏がロブションさんに、とお土産に作ったブーダンやベーコン、カンパーニュをパリに持って帰るなど、二人の巨匠をつなぐ架け橋としても働いた。

ジャマンの後は、綺麗なジビエのソースを学びたいと、タイユバンへ。「1987年当時は、ソースがどんどん軽くなっていた時代。そんな中でも、タイユバンではブールマニエをまだ使っていて、ジビエ のソースは豚の血でリエするなど、古典的な手法を学んだ。それぞれのフォンをきちんと取る、丁寧な仕事、ソースにどんなアルコールを使うかなどもつぶさに学んできました」。

その後、ジラルデへ。フレディ・ジラルデ氏には、スーシェフとして仕事面で厚い信頼を受けただけでなく、その人柄から、まさに愛弟子として可愛がられた。

グランターブルキタムラ
名古屋市東区主税町4-84
TEL 052-933-3900
営業時間
11:30-15:00(LO 13:30)
17:30-22:00(LO 20:30)
定休日 不定休
https://french-kitamura.jp/

写真・文 仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。

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