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(画像=7maru/Shutterstock.com)

赤坂という街に、どのようなイメージを抱くでしょうか。少し昔のイメージであれば、大人が集う料亭の街、夜の街というイメージが強いかもしれませんが、今、そのイメージが変化しつつあるのです。最近では、外国人観光客の増加といった背景から、さらに多国籍化が進んでいます。一方、七福神めぐりができる豊川稲荷など、歴史的な背景も街の個性となっています。赤坂の昔、今、未来。どのように街が変わってきたかを解説します。

古くは武家屋敷が立ち並ぶ土地だった赤坂

まずは、赤坂の名前の由来から見てみましょう。「赤坂」には諸説あり、主な説としては、現在の赤坂エリアに赤土の坂があり、そこから「赤い坂」、転じて「赤坂」となった説や、茜草が茂り茜坂と呼ばれ、それが赤坂になった説などが有力とされています。

赤坂の開発が始まったのは江戸時代になります。赤坂は高台にあったため、江戸城西部の防衛基地として徳川家康がこれを重要視し、紀州徳川家をはじめとして、多くの旗本や大名が住み、武家屋敷が並ぶようになりました。また、低地は外堀として整備され、江戸の上水として整備された「溜池」は、今も地名として残っています。

将軍徳川吉宗は幼少期を赤坂で過ごし、溜池で泳いだという逸話も残っています。豊川稲荷や氷川神社は、江戸時代に祀られたものが、今も移転などを経て、歴史的なスポットとして残っているのです。明治時代になると、花街として、料亭が立ち並ぶようになりました。軍人、政治家に主に利用されていたそうです。この流れは昭和になっても続き、赤坂=料亭の街というイメージができたのです。

昭和は、「大人の街」だった赤坂

昭和の赤坂といえば、大人の街、歓楽街のイメージが強いのではないでしょうか。実際、戦争の空襲により赤坂の街は焼かれましたが、戦後、霞が関や国会に近いこともあり、料亭街として早くに復興しました。1955年には料亭80軒が並んでいたそうです。

さらに、東京オリンピックも赤坂にとって追い風になりました。1964年のオリンピック開催のため、青山通りが道路拡張され、外国人来訪者受け入れのためにホテルの建設ラッシュがありました。ニューオータニや赤坂プリンスホテルなどがそれにあたります。また、外国客の増加で接待や娯楽のためのバーやナイトクラブの進出もあり、昭和のイメージのような華やかな歓楽街となったのです。この華やかさはバブル時代にピークを迎えます。

赤坂は多様性を楽しむ地域に

平成になり、不況もあり、夜の街自体が静かになる中、赤坂は新たな側面を持つようになります。

その1つが、赤坂Bizタワーおよび赤坂サカスでしょう。2008年に竣工された赤坂Bizタワーは、博報堂やトムソン・ロイターなど、大手企業が入居しており、赤坂の象徴になりつつあります。このビルができたことで、赤坂はオフィス街の一面も持つようになりました。

さらにもう1つは、外国人観光客の増加です。もともと、東京オリンピックで外国人の受け入れを行ったこともあり、再び赤坂は多国籍な街として進化しています。実際、多国籍料理のレストランやホテルなども増えており、多様性を楽しむ街になりつつあるといえるでしょう。

令和の赤坂はどのような街になる?

では、今後の赤坂は、どのように進化するのでしょうか。その1つのキーワードとして、「エンターテインメント」という言葉があります。

TBSと三菱地所は共同で、国際新赤坂ビルの再開発を行うことを決めています。その中で、キーワードとして、赤坂エンターテインメント・シティ構想というものがあります。実際、今も、赤坂ACTシアターなど、エンターテインメント関連施設が立ち並ぶ街ではありますが、この再開発を経て、「エンターテインメント・シティ」という、新しい切り口が赤坂に加わるかもしれません。

進化する街、赤坂。

江戸時代、武家屋敷が並んでいたことが信じられないほど、今の赤坂は多様性があり、また変化に対応した街になっていると言えるでしょう。

今後も、時代とともに新しい空気を取り入れながら進化していく。赤坂はそういった街かもしれません。今後の赤坂の変化にも、ぜひ期待したいところですね。

文・J PRIME編集部

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