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(画像=kwanchai/Shutterstock.com)

2024年から新紙幣が流通します。新紙幣の新たな顔となるのが「渋沢栄一」「津田梅子」「北里柴三郎」の3人です。日本人として最低限知っておきたい各人が残した偉業やエピソードについて、まとめて解説します。

新1万円札:渋沢栄一(1840年3月16日〜1931年11月11日)

新1万円札の肖像となる渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)は「明治・大正期における実業家のトップリーダー」「明冶・大正期の指導的大実業家」などと紹介されることが多い人物で、新紙幣では1万円札で肖像が使われます。

有力農家の長男として埼玉県で生まれ、一橋家に仕え、1867年(慶応3年)の第2回パリ万国博覧会に参加した際にヨーロッパの産業や制度について知ったことが、その後の活躍につながったと言われています。

実業界に入ってからは第一国立銀行(現・みずほ銀行)の総監役や頭取となり、ほかにも王子製紙や大阪紡績、帝国ホテル、東京証券取引所、サッポロビールなどの創業や発展に力を注いだことでも知られています。関東大震災からの復興や教育などに力を入れていたことでも有名です。

実は渋沢栄一が紙幣で登場するのは初めてのことではありません。1902年(明治35年)に当時の朝鮮で発行された10円紙幣に肖像が使われたことがあります。ただ日本国内では今回の新紙幣での登場が初めてです。

新5,000円札:津田梅子(1864年12月31日〜1929年8月16日)

新5,000円札の肖像となる津田梅子(つだ・うめこ)は、わずか8歳のとき、ほかの数人の少女とともに岩倉使節団とアメリカに渡り、留学中の経験を日本に持ち帰って明治・大正期の教育改革に尽力した女性です。「日本初の女子留学生」「女子教育の先駆者」「英語教育の先駆者」などとして知られています。

津田梅子が渡米したのが1871年(明治4年)で、1882年(明治15年)に帰国するまでの間にアメリカ国内で米国式の初等教育と中等教育を受けました。

帰国してからは華族女学校で教授を務めるなどした後、再びアメリカに渡って名門女子大学のブリンマー大学に入学します。そのプリンマー大学の教えが、津田梅子がのちに創設する女子英学塾(現・津田塾大学)の基本理念を形作ったと言われています。

日本YWCAの初代の会長であったことでも知られています。

新1000円札:北里柴三郎(1853年1月29日〜1931年6月13日)

新1,000円札の肖像となる北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)は「日本近代医学の父」「日本の細菌学の父」などと呼ばれる細菌学者です。第1回「ノーベル生理学・医学賞」の最終候補者に選ばれていたことでも知られています。

北里柴三郎の大きな功績とされるものの一つが、ドイツ留学中の1889年(明治22年)に世界で初めて破傷風菌培養に成功し、死亡率が極めて高い破傷風の治療法を開発したことです。また血清療法を発明したのも北里柴三郎で、その後の免疫学の発展に大きく寄与しました。

ドイツから帰国したあとの1892年(明治25年)には、日本で初めて私立の伝染病研究所を設立し、同研究所の所長を務めます。1914年(大正3年)には私費で北里研究所を設立しています。1923年(大正12年)には今に続く日本医師会を創設し、北里柴三郎は初代の会長に就任しました。

今回が「最後の刷新」になる?

紙幣の刷新は2004年以来のことです。日本政府がキャッシュレス化を推進する中で、今回が紙幣の「最後の刷新」となるのではないか、と予測する専門家や有識者もいます。現金を使わない時代が早かれ遅かれ到来する可能性があるからです。

とはいえ日本においてはまだしばらくは、紙幣は「日本経済の顔」であり続けます。増え続けている海外からの訪日旅行者に「これの人は誰ですか?」と聞かれても、ある程度のことを答えられる知識は持っておきたいものです。

文・J PRIME編集部

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