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(画像=mnimage/Shutterstock.com)

光格天皇以来200年ぶりといわれる譲位により、30年余り続いた平成の時代が過ぎ去り、令和時代が幕を開けました。出典がはっきりしている10世紀以降、元号は全て漢籍と呼ばれる中国の古典から選ばれてきましたが、今回初めて和書である『万葉集』から選ばれ、世間の話題を呼びました。

果たして万葉集には、いかなる作品が収録されているのでしょうか。そして、和書が出典となったことにどんな意義があるのでしょうか。

日本最古の歌集「万葉集」

幅広い階層の作品が収められた万葉集

万葉集は、現存する中では最古の和歌集です。編纂されたのは今から1,000年以上前の7世紀後半より8世紀にかけてで、西暦759年に完成しました。

万葉の「葉」は「世」に通じ、後々の世の人々に伝わるようにとの願いを込めて名付けられたとされています。

仁徳天皇の皇后「磐之媛命(いわのひめのみこと)」の短歌4首から始まり、淳仁天皇時代にかけて350年間の和歌4500首が収録されています。天皇や貴族だけでなく下級役人の作品まで幅広く収められており、その点が歴史的にも高く評価されています。

「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」(足柄の坂に立って手を振れば家にいる妻にも見えるだろうか)

東国から遠く九州大宰府に送られた兵士たちが詠んだ「防人の歌」は、単身赴任の哀愁にもつながるからか、さだまさしさんの歌のタイトルに用いられたりと、現代でもよく知られています。

自然を愛し人生を謳歌する

万葉集が編纂される以前の古代において、自然は敬うと同時に怖れる存在でした。万葉の作品が詠まれた奈良時代の頃になると、人々は畏怖の感情からようやく解き放たれ、自然を讃え、愛する気風がみられるようになりました。

同時に、遊宴・旅・そして男女の愛など、控えめながらも少しずつ人生を謳歌し始めます。万葉集は全20巻にまとめられ、大きくは雑歌(晴れがましい行事)・相聞(男女や親子のやり取り)・挽歌(人生の晩年)に分かれています。

そして万葉集を最終的に編纂したのが豪族・大伴家持、「令和」の出典でもある『万葉集 梅花の歌32首』の作者・旅人は家持の父親です。

政治に翻弄され続けた大伴家

令和は、旅人が太宰府長官を務めていた天平2年(730年)正月13日、役人を集めて詠ませた短歌の一節が典拠であるとされています。

「干時初春令月、気淑風和(初春の良い季節だから親しい者同士で盃を傾けよう)」

ただの呑気な歌に思えますが、時は筆頭豪族の藤原氏が権勢を強め、権力争いが激しさを増していた時代で、大伴氏も無縁でなかったはずです。歌の前年には昵懇の長屋王が、藤原氏に濡れ衣を着せられ処刑されています。

つまりこの句は「正月ぐらい嫌なことは忘れてのんびり過ごそう」、そんな意味合いが込められたとの説もあるのです。そう聞くと、複雑な想い、切なさに駆られてしまいます。

万葉集が選ばれたワケ

今回の令和について、安倍首相の支持母体でもある保守系団体・日本会議は、「中国からの文化的脱却と日本人の自覚を示した」と全面的に賛美しています。

実は新元号の発表時期について、伝統に則って改元当日を主張する日本会議と、1ヵ月前を押し通した政権側とで不協和音が生じていました。今度の令和発表で、どうやら元のさやに納まったようです。

いずれにせよ、令和は世論調査で8割以上と圧倒的な支持を受けたのですから脱帽です。

日本人の生活における元号

一方で私たちの生活、特にビジネスにおいて元号の存在感は日々薄れつつあります。例えば決算資料の表記は、今回の改元を機に6割近い企業が西暦に切り替えます。既に西暦を採用している企業と合わせると実に9割に達します。

公文書では和暦表記を死守する官公庁ですら、省庁間のデータ交換は西暦ベースを採用しています。アンケート調査でも、主に元号を使う層は2割を切っています。

文化としての元号に敬意を表しつつ日常は西暦を使う、そんなスタイルが日本社会に定着しつつあるのかもしれません。

文・J PRIME編集部

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