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LIFE STYLE

戸賀編集長 人生の履歴書 Vol.5

公私で経験したことをユーザーとブランドの接点に活かす

2022.03.19

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公私で経験したことをユーザーとブランドの接点に活かす

ラグジュアリーファッションやスーパーカーのブランドのアンバサダーを務め、それらのアイテムを身につけたりクルマに乗ったりしてメディアに登場するJ PRIME編集長 戸賀敬城。30年以上の編集者歴の間で、特に33〜50歳までにメンズEX、メンズクラブ、メルセデスマガジンなどの編集長を歴任。メディアが困難な時代に突入していたのにも関わらず、各媒体の業績を上げて来ました。その後、独立してWEBやブログを使って常に新しいモノ・コトを発信しています。そんな戸賀編集長のメディアへの思いや仕事への取り組み方を紹介しつつ、彼のモノ・コトの見方や評価の基準について紹介します。

5回目は、『MEN`S CLUB』を円満退社した後、フリーランスとして独立し、オフィス戸賀を立ち上げ、今にいたるまでのお話です。

「雑誌編集長を卒業、新たな世界、人に触れたことは仕事のプラスになりました」

———— 前回は『MEN`S CLUB』(以下、メンクラに略)編集長に就任し、Webを活用することで売り上げや広告収入を増やし、順調に“ギョーカイ人”として活動ってところまでお聞きしたんでしたっけ?

戸賀 いえいえ、メンクラの売り上げが伸びたことや広告収入が増えたことは確かですけど、決して順調ではなかったですよ。前回も言いましたが、転職したての2009年はリーマンショックのせいで雑誌業界は大変だったんですから。国内外の有名ファッション誌の編集長たちですら立場は安泰ではなかった…それって思い返しても異常なことですよね。僕だって例外ではないのでガムシャラに働いていましたよ。心も体もきつかったですね。

————へぇ〜、外から戸賀編集長の活動を見ているとブランドのパーティやイベントに出たり、有名ギョーカイ人と会食したりして華やかに映るもんで。白鳥が優雅に水面を移動していても、水面下では必死に足を動かしているって感じだったんですね。でも、他の雑誌がまだまだ「Web」に手を付けていなかった時代に、いち早くWebを活用したんですよね!? いわば「時代の先駆け」だったんじゃないですか。

戸賀 とは言え、「紙(=雑誌)」を読んでいる人がまだ「Web」に移行していなかった時代だったこともあり、まだまだ雑誌の時代だったと思います。ですから、ブランドやメーカーの広告費用におけるWebの割合は低かった。語弊があるかもしれませんが、薄利多売というか、プラスアルファで仕事をしなければいけない状況だったんです。 Webでの収益も考えていかなくてはいけない。とはいえ…業務量が増えて、見通しがない状態は避けたかった。なので、いつでもどこでも「どうしたら業績を上げられるか?」ばかり考えていましたね。限られた経費の中で、会食をしてヒアリングをしたり。もしかしたらそれが外からは華やかな感じに見えたいたかもしれませんね。でも、実情はアップアップだったんですよ。溺れないように必死に泳いでたというか…。

————なるほど。だからWebで企画したイベントの仕事とかで、10、11、12月の3ヶ月間で3日しか休めなかったんですね。でも、前回におっしゃってた「すぐに評価がわかる」「すぐに何がウケるかわかる」というWebのメリットについては、編集者もブランド側もわかっていたんですよね? なのに収益にならなかったのは、読者だけでなく製作側もまだ「紙」から「Web」に移行できていなかったと言えますよね。

戸賀 そうかもしれません。でも、とにかくメンクラのWebページ、トガブロ。、その2つを利用したイベントが盛況だったのは確かです。それとそのおかげで休みがなかったのも事実です(笑)。そんな大変な日々をなんとか送れたのも、先の3つが盛況になったのも、すべて優秀な部員のおかげだったと感謝しています。その一方で内心、「俺はブロガーでもねぇし、ましてやインフルエンサーでもなく、あくまでも編集長」と、ちょっと憤っていたんですけどね(笑)。

———–大変な日々を送っていた中で、人と人との繋がりを構築していったんですね。確かこの時期に、初となる自身の書籍を出しましたよね?

戸賀 そうそう、講談社から声をかけていただいて『デキる男の正解美容 誰も教えてくれなかった基本ルール70』を出させていただきました。その後『結果を出す男〜』シリーズなどもお声がけいただき、出していくのですが、他の出版社からのお話でも、ハースト婦人画報社は快く了承してくれました。この会社は僕に好きなことをやらせてくれて、改めて凄くよい会社だったと感謝しています。

———–ところが、まもなくまた大きな転機が訪れるんですよね?

戸賀 「転機が訪れる」というより、自分から「転機を起こした」と言った方がいいかもしれません。49歳になった時にふと、「ああ、49歳でオヤジは死んだんだっけ」と思い出したんです。オヤジが早死にしてから、僕は自分も早死にするんじゃないかと思って健康ヲタクになってしまうほど身体に気を遣って、人間ドックにも年2回行ったり、食事に気をつけたり、サプリを飲んだり、フィットネスに通ったりしていたんですが、オヤジが死んだ49歳まで生きることができたので、妙に感慨深いものがありましたね。 そこで、「これを機に次のステージに行くべきだ」と決意しました。だからと言って、他の出版社に行く気はさらさら無く、独立しようと思ったんです。

———–おおっ! ついに独立ですね!! でも、ハースト婦人画報社からは円満退社できたんですか?

戸賀 きっと…ハースト婦人画報社はいろいろと勘ぐったり、困るな…とも思っていたはずなんです。ところが、そんな素振りも見せず、それどころか退社する僕に『ハーストメンズアンバサダー』という肩書きまでくれたんですよ!  つまり、フリーになった後の“後ろ盾”を買って出てくれたんです。そういうハーストの気遣いを聞かされた時、僕は感激して当時の社長、ブゴンさんの前で号泣しちゃいましたよ。

———–いい話しだなぁ。で、めでたく円満退社して「フリーランス・戸賀敬城」は、早速どんな仕事を始めたんですか?

戸賀 まっさきにナノ・ユニバースが「一緒に仕事をやりましょう」と声をかけてくれ、その後も青山商事や富士フィルムなどからもオファーが来たのが嬉しかったです。また、大手代理店からも大口の仕事をいただき、個人事業主の域を超えてきたので、「オフィス戸賀」を立ち上げました。 仕事の内容としては、ブランドのマーケティング戦略のコンサルティングですね。僕は編集長時代の経験から、各ブランドのメインターゲットを知っていますから、具体的な提案やアドバイスが出来るのではないかと。それどころか編集長という枠がなくなったので、メンクラ編集長の立場では言えなかったこともズバズバ言えますから(笑)。

————なるほど。メンクラ編集長の時もフリーの時も“戸賀”という中心=ハブがあり、メンクラ時代はブランドからの情報をハブになって、読者へ発信するという一方通行だけ! でも、フリーになってからは、リアルな読者やお客様の意見を元に、どんなブランディングやプロモーションをおこなったら効果的か、ということをディスカッションするようになったんですね。

戸賀 業務内容というと、聞こえが違うかもしれませんが、メディア時代のブランド→雑誌→お客様(読者)ということから、お客様(読者)⇔ブランドという “両方通行”を行っているイメージです。トガブロ。はたしかにたくさんの人に見てもらえていますが、僕はブロガーでもインフルエンサーでもありません(笑)。さすがにそれだけでは僕が考えるラグジュアリーな生活は難しいですよ。独立後にブランド、お客様(読者)の双方の考えや動向に深く触れることができるようになったことが、今となっては強みかもしれませんね。

———–確かに! それが出来る「J PRIME編集長・戸賀敬城」は、他の編集長や業界人よりは決定的なアドバンテージを握っていると言えますね。

戸賀 繰り返しになってしまいますが、僕はブランドとお客様(読者)の両方の立場を知っています。そのメリットを活かし、さらにさっきも言った「ハブ(=メディア)」のメリットをもっと活用・拡大し、新しいことを提案していきたいと思います。 まだまだスタートしたばかりのJ PRIMEですが、もっとたくさんの人にJ PRIMEを知っていただき、このメディアを通じてかっこいいミーハーとは、リッチなおじさんとは、真のラグジュアリーとは、ということをどんどん発信・提案していきたいですね。

J PRIMEとしても自らの会社としてもまだまだやりたいことがたくさんあるという戸賀編集長。たくさんのユニークな夢を描いている戸賀編集長が作るJ PRIMEを、これからも応援してください。

次回からは戸賀編集長が実際に触れてきたモノについて紹介したいと思っています。まずはクルマからの予定です!

文 高 成浩(POW-DER)

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