アートコレクターズ2021年3月号


新型コロナウイルスの感染拡大によって海外への渡航を含めた外出に制限がかかり、私たちを取り巻く生活環境、そして常識は一変しました。このようなパラダイムシフトを経験するなかで、自ずとアートの在り方にも変化の兆しが表れてきているようです。J PRIME編集部では月刊誌『アートコレクターズ』の編集長で発行人を務める一井義寬氏に、いまあらためて考えるアートの意義、そしてアートにかかわる2021年の最新事情を聞きました。

目次

  1. 拡張を続けるアートの形
    1. アートは、難しいものだけではない
    2. 「限界芸術」は広がり続けている
    3. 生活様式が変わり、新たな芸術も生まれていく
  2. いま収集家たちが注目するトピックとは?
    1. 天王洲エリアのアートシーンの盛り上がり
    2. 日本国内の若手の成長にも注目
  3. 移動の制限がアートにもたらした変化
  4. 日本国内のアートに注目が集まっている
  5. 身近な存在へと向かうアート
一井義寬氏
月刊誌『アートコレクターズ』の編集長として国内外のアートマーケットを取材している。
2017年より現職。


拡張を続けるアートの形

アートコレクターズ2021年3月号
2021年3月号(2月25日発売)の巻頭特集は『これでわかった! 抽象絵画の世界』。新境地が開拓され続けている抽象絵画にスポットライトを当てており、今年の話題の展覧会の一つモンドリアン展なども掲載されている


生活の友社が発行する『アートコレクターズ』は、アートの“蒐集家(収集家)”を中心に幅広い美術ファンから支持を得ている月刊誌で、同誌の編集長を務めるのが一井義寬氏です。ソーシャルメディアによって作品が拡散され、これまでとは違う形でアートが広がっている昨今、一井氏は、アートをどのように捉えているのでしょうか。

アートは、難しいものだけではない

「とりわけ人よりも美術に関心が高かったとは思わない」という一井氏にとって、アートとは専門家に限られた特別なものではなく“大衆による大衆のためのもの”も当然含むと話します。

「たとえば、宴会で自然と民謡が歌われているとします。聴衆は自然と手拍子を叩いて楽しみ、歌い手はより興に乗ってその場が盛り上がっていきます。体全体を使って歌い、その歌声で聴衆と一体となる楽しさ、また素敵な歌声を聞いている聴衆も高揚し楽しさを味わっているわけで、いわばお互いに快楽を享受しあっているといえます。

数学の証明問題を解いている時に、解法がひらめいて正解を導き出せるとうれしいですよね。それも、ひとつの快楽ですよね。お酒を飲む方は酩酊する快楽をご存知だと思います(笑)。でも同じ体験をしたとしても誰もが同じような快楽を得られるわけではないし、それが当たり前でしょう。思うように絵を描けたという興奮、今まで見たことのないイメージを見たときの感動、こうしたものを快楽ととらえれば、アートに対してより広い付き合い方ができるかもしれません」(一井氏)。

そう語りつつも、元々ラテン語に由来するアートを日本語で説明するのはやはり難しいと一井氏は指摘します。そこで一井氏が引用したのは、哲学者の鶴見俊輔氏が提唱した「限界芸術」という考え方でした。

「限界芸術」は広がり続けている

限界芸術とは鶴見氏が芸術という概念を3つに分類したうちのひとつで、アートの非専門家の間で交わされる芸術を指します。対して、アートの専門家同士で交わされる芸術は「純粋芸術」、そして、専門家がつくり非専門家が楽しむ形態の芸術は「大衆芸術」と呼ばれます。

純粋芸術は絵画や彫刻など、大衆芸術は映画など、そして限界芸術はいわば落書きや手紙、さらにいえば替え歌や鼻歌なども含むものだと考えられます。

「小難しく考えてしまいがちなアートですが、限界芸術の考え方をとりいれると少し肩の力が抜けるかもしれませんね。もちろん美術史を学んで、どのような文脈の中に目の前の作品が位置づけられて、その作家の生涯を調べ、当時の社会的な影響をどのように受けたかなどを考えながら見るのも楽しいのですが、何も知らないときの私にはハードルが高すぎでした。

まずは作品自体を素直に見て、素敵だな、とか素朴に思えるようになることも大切だと思います。そもそもアートとは生活と不可分なものですし、人間の原初的な活動とつながっているものなのです。この限界芸術は一つの概念に過ぎませんが、いろいろな入り口があればアートファンはますます広がっていくのではないででしょうか」(一井氏)。

世界的にブームを巻き起こしているイギリス出身の謎のアーティスト、バンクシーの作品は多くの人々に愛されています。

見る人によっては落書きともいえるバンクシーの作品は、“SNS”という現代のテクノロジーも手伝って爆発的に拡散しています。それをマスメディアが取り上げることで、さらに人気は高まり不動の人気を得るまでに至っています。

謎のアーティスト、バンクシーがアートの専門家であるならその作品は大衆芸術となるかもしれません。しかし、バンクシーに象徴するように、私たちにとってインターネットなどを通じて落書きに限らず生活のなかで生み出される楽しさを他者と共有することは、ごく自然に見られるようになりました。

「アートは生活と不可分である以上、生活様式が新しくなれば、新しいアートも生まれてきます。インターネットや写真技術などの普及によって私たちの生活が変化すれば、芸術の枠組みもまた広がるのです」(一井氏)。

生活様式が変わり、新たな芸術も生まれていく

コロナ禍に目を向けると、どうでしょうか。私たちは友人や家族との間でさえオンラインでのコミュニケーションが求められるようになりました。こうした“新しい生活様式”のなかで、技術に頼る場面はますます増えたといえます。

「コロナ前のような生活を送ることは難しくなり、“新しい生活様式”を強いられるようになりました。しかし、それは決して負の側面ばかりではないと思っています。これまでにないアートは今なお生まれ続け、新たな芸術として評価を獲得しつづけています」(一井氏)

猛威を振るうコロナ禍を前にして、いっそう私たちがアートに強く惹かれる理由。それは、いつの時代であっても生活とともに拡張し続け、新たな可能性を追求し続ける、アートそのものの本質にあるのかもしれません。

一井氏が編集長を務める月刊『アートコレクターズ』の2020年12月号でも、「多様化する写真時代」をテーマにしています。スマートフォンの普及で人々が気軽に撮影し、写真をシェアするなど、現代をまさに写真時代だと指摘しており、そうした写真がアートの文脈で語られ始めていると問い掛けています。

いま収集家たちが注目するトピックとは?

Tokyo International Gallery
TERRADA ART COMPLEX IIに入居する「Tokyo International Gallery」


コロナ禍、そして技術の進展によってアートの在り方が変わり続けている今、アートコレクターはどのようなことに注目しているのでしょうか。一井氏はひとつの動きとして堅調なオークション市場の存在を挙げます。具体的には草間彌生や村上隆などのアーティストが活躍しており、たとえば2020年最初のSBIアートオークションでは、草間彌生の作品が最高落札額の6,300万円で競り落とされていました。

天王洲エリアのアートシーンの盛り上がり

そのほかにもアートコレクターが注目する動きとして挙げたのが、東京のウォーターフロントエリアである天王洲における寺田倉庫の動きです。2020年9月には「TERRADA ART COMPLEX II」がオープンに、12月には現代アートのコレクターズミュージアム「WHAT」が誕生するなどアートの魅力を発信する動きが相次いでいます。

2016年9月に開業したTERRADA ART COMPLEX Iには8つのギャラリーと1つの美術大学(サテライトキャンパス)が入居、2020年9月に開業したTERRADA ART COMPLEX IIには、2021年春までに計10ギャラリーが入る予定になっています。これらを合わせると、日本でも最多のギャラリー数を持つアート複合施設になるといわれています。

TERRADA ART COMPLEX IIに入っているギャラリーのひとつである「Contemporary Tokyo」は、東京と中国に拠点を置き、日本人アーティストの作品を主に中国で紹介しているギャラリーです。主な作家は桜井肇、杉田陽平、月乃カエル、坪山斉などのアーティストです。ほかにも多様な個性をもったギャラリーの数々が入居しています。

日本国内の若手の成長にも注目

一井氏は、日本国内の若手アーティストの成長にも注目が集まっているといいます。例として一井氏が挙げたのが、画家の井田幸昌。井田は「一期一会」をテーマに絵を描いており、2016年に現代芸術振興財団が主催するCAF賞での受賞や、2017年にはレオナルド・ディカプリオ・ファンデーションのオークションに最年少で参加したことで知られ、現在では多くのコレクターが支持する若手アーティストとして知られています。

移動の制限がアートにもたらした変化

コロナ禍の影響で移動が制限されるなか、いまオンラインでアートを楽しむさまざまな仕組みが登場しています。しかし、一井氏は「基本的に作品は実際に見なければ満足できないもの」だと話し、テクノロジーにも限界があるのではないかと考えています。

有名な絵画を観に海外旅行に出かけられない、そしてオンラインで楽しむのも限界があるとなると、アートの行き先は、より私たちの身近へと向かいます。たとえばギャラリー、もしくは自宅などです。一井氏も、アートを購入し自宅で楽しむという動きが活発化する可能性は、肌で感じているといいます。

「コロナ禍のなかで、楽しいことが少なくなっているというのが多くの人の正直な思いではないでしょうか。加えて、自宅にいる時間が延びたぶん、日常生活の中にアートを感じたいという人々は増えています。何か心を豊かにすることにお金を使いたいと考えた結果、アートを購入しようと考えるのは自然な動きだと思います」(一井氏)。

ただし、もし初心者としてアートの購入を検討しているのであれば、「儲けたいと思って買わないようにすることをすすめます」と一井氏。

「私たちの心を豊かにするものは、たいてい“実用性”という考え方とは相性がよくないと思っています。実益を考えずに、純粋に自分の好きな作品を購入する。それが結果的にアートを見る楽しみだったり、心を豊かにすることにつながるはずです」。

日本国内のアートに注目が集まっている

アートコレクターズ2021年1月号
月刊『アートコレクターズ』2021年1月号(12月25日発売)では、日本画を特集した。西田俊英などの大家たちの作品に触れながら、日本画の魅力に迫っている


一井氏は日本の芸術文化について、「すごくざっくりいうと、江戸時代までは中国の大陸文化、その後は欧州文化、第二次世界大戦敗戦後は米国文化の影響を強く受けてきました」と説明します。

確かに、日本固有の宗教観である神道があった世界に、中国から伝来した仏教が広く普及し、すでに日本文化として定着しています。そうした影響は、日本における仏教絵画などからも見てとれます。そこから明治〜大正時代は産業革命後の欧州に憧れ、終戦後から昭和~平成~令和を経る近現代においては米国文化の影響を大きく受けてきたことは事実です。

それがコロナ禍によって海外に足を運ぶことが難しくなったいま、収集家や美術ファンが熱視線を向ける先は自然と“日本国内”へと向かっています。

「その時代ごとの先進国に見習い、追いつけ、追い越せ、とやっていくうちは、足元に注意がいかず日本独自のものがなかなか再評価されづらいと思います。そうした背景を考えると、結果的にではありますが、日本国内のアートへの注目が高まっているのはおもしろいトレンドだと思います」(一井氏)。

身近な存在へと向かうアート

アート市場をウォッチし続ける一井氏は、アートそのものが拡張していくのと同時に、私たちの周りにあるアートの環境にも変化が訪れていると、見ています。すなわち、日本国内のギャラリーやアーティストに視線が向かっていく雰囲気が流れ始めているのです。また、自宅での時間が延びたことは、生活のなかにアート作品を取り入れる動機にもつながっており、身近な存在だという感覚が広がりつつあります。

そこで注目したいのが、最も身近な場所、自宅にアート作品を取り入れることです。ギャラリーを訪れ、楽しみながら運命の1点と思える作品を探し、「これ」というものがあれば購入して自宅のリビングの壁に掛ける。それが贅沢ではない当たり前のありようとして、ますます広がっていくのかもしれません。

コロナ禍は私たちの生活のみならず、アートとの関わり方も大きく変化させている、と一井氏は語ります。アートがこれまで以上に身近になるということは、“快楽”を得るシーンが大きく広がっていくということ。そんな広がり、拡大の中で、私たちはこれからどんな新しい作品と出会えるのでしょうか。ネットに、そしてギャラリーに、アートから目の離せない2021年となりそうです。

文・J PRIME編集部