ハイヒール,ジミーチュウ
(画像=papin-lab/stock.adobe.com)

ヒール靴を扱うラグジュアリーブランドとして有名な「ジミー チュウ」は、洗練されたそのデザインだけでなく、痛さと無縁の履き心地を実現したハイヒールで多くの女性から支持されています。

長い歴史を持つ多くのラグジュアリーブランドとは違い、設立は1996年と歴史の浅い「ジミー チュウ」が瞬く間に大きなブランドへと成長したストーリーと、同ブランドのヒールの魅力を解説します。

父と同じ、靴職人の道を歩んだジミー・チュウ

創業者のひとりであるジミー・チュウは、マレーシア生まれの靴職人です。父もまた靴職人であったチュウは幼少期より父の仕事を手伝いながら靴づくりを学んでいきます。完璧なモノが出来上がるまで決して満足しなかったという父の存在は、後のチュウの靴づくりにも影響を与えているといいます。

そうして力をつけていったチュウはロンドンに渡り、レザー・トレード・スクール(現ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)へ進学して、さらに靴づくりの腕を磨いていきます。卒業後はハックニー地区に自身の靴工房を構えたチュウは靴づくりに励み、徐々にその名声を高めていきました。

『VOGUE』誌が変えた、ジミー・チュウの運命

ジミー・チュウがブランドを立ち上げるまでには、大きく2つのターニングポイントが存在します。

そのひとつめが1988年、英国版『VOGUE』誌にチュウがつくった靴が掲載されたことです。その影響は大きく、世界中からチュウに注目が集まることとなります。

そして2つ目のターニングポイントが、故・ダイアナ妃がチュウに靴づくりを依頼したことです。チュウがつくる、エレガントで機能性が高く履き心地のよい靴は、イギリスの上流階級の女性のみにとどまらずダイアナ妃までもが愛用したのです。

そんなチュウの実力に目を付けたのが英国版『VOGUE』誌の編集者、タマラ・メロン(当時タマラ・イヤーダイ)でした。彼女はチュウとともにビジネスを成功させようと考え、1996年に2人は共同でラグジュアリーブランドの「ジミー チュウ」を設立することになったのです。

もうひとりの立役者タマラ・メロンの敏腕なマーケティング

「ジミー チュウ」は靴のクオリティーの高さはもちろんですが、タマラ・メロンによる独自のプロモーション手法からもその知名度を上げていきました。

有名なのが、アカデミー賞授賞式においてサンプルを大量持参し、色やサイズを女優一人ひとりのドレスにカスタマイズするというサービスを展開したことです。これにより多くの女優がレッドカーペットを「ジミー チュウ」の靴を履いて歩き、高いPR効果を生んだとされています。

また、大ヒットドラマ「Sex and the City」や映画「プラダを着た悪魔」で大々的に取り上げられたこともきっかけとなり、「ジミー チュウ」の靴が世界へと広がっていくきっかけとなりました。

新体制となっても躍進を続ける「ジミー チュウ」

万事順調とも思えた「ジミー チュウ」でしたが、タマラ・メロンのプロモーションやその商業主義な考え方は、生粋の靴職人であったジミー・チュウとは相いれないものでした。プレタポルテと呼ばれる既製品で事業展開しようと考えていたメロンに対して、チュウは注文を受けた個人に合わせてハンドメイドするオートクチュールにこだわりを持っていたからです。ついには2人の溝は埋まることなく、2001年にチュウはブランドを去っています。

現在はメロンも「ジミー チュウ」を去り、ブランド誕生時からクリエイティブ・ディレクターを務めるチュウの弟子であり姪であるサンドラ・チョイがブランドをけん引しています。チュウが追い求めたクチュール品質でありながら量販が可能な体制を整え、ラグジュアリーなシューズコレクションをつくり続けています。

「ジミー チュウ」のハイヒールが持つ魅力とは

ヒールを中心に展開している「ジミー チュウ」の魅力は何といっても“奇跡のフィット感”とまでいわれるその機能性と、エレガントなデザインでしょう。それらはジミー・チュウが幼少期から努力し、それぞれの靴に強いこだわり持っていたからこそ実現できたものです。

一方で、いま私たちがそれを手にできるのは、タマラ・メロンのプロモーションによって「ジミー チュウ」というブランドが世界に浸透したからでもあります。2人の信念は最後まで相容れませんでしたが、そでほどまでに強いものだったからこそ、今日「ジミー チュウ」は世界中で愛される魅力的なブランドとなっているのです。

文・J PRIME編集部

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