カップとソーサー


うつわはおもに料理のためのものですが、作家が作るそれには暮らし方や社会の捉え方まで変えてくれるほどの思想があります。それを知ることはアートに心動かされる感覚ともよく似ていて、かかわることで自分の中の何かが変わるような体験。そんなうつわの「名作」をたどる連載の第7話は、伊藤環がプロデュースする「1 + 0(イチタスゼロ)」シリーズのこと。

手作り感を消さない量産品のあり方

伊藤環さんは、作家として独立後15年目を迎える陶芸家。古物からインスピレーションを得た神聖な佇まいのうつわが多くの人に親しまれていますが、作家活動と並行して、2012年に「1+0(イチタスゼロ)」というブランドをスタートしました。ブランド名は「ITO」の「T」を「+」に見立ててアレンジ。自分が作りたいと思ったものを、あえて自分ではない誰か(+@)の手でかたちにしていくプロジェクトです。食器から始まった商品展開は、

コーヒー豆やファッションアイテムにも発展して、規模こそ小さいものの、ライフスタイルブランドへと育っています。作家がブランドをプロデュース、そのことがもたらすものとは?

深い青色のうつわ
陶芸家・伊藤環としての代表的な作品でもある錆銀彩リム皿。張りのある胴体とリム(縁)の絶妙なバランスにより神聖な雰囲気を宿す伊藤環ならではの仕事。こうしたデザイン力は他の作品にも随所に見られる。


作家やデザイナーがプロダクトのうつわを手がける例はこれまでもあります。陶芸家・井山三希子さんが暮らしのショップ「KOHORO」と協業し四日市の窯元が生産する「aima」、世界中から集まった複数のデザイナーと有田焼のメーカーや窯元がコラボした「1616 / arita japan」など。そのほとんどは彼らがアイデアや図面を提供し、複数の職人が分業もしくは機械で生産することで量産体制を整えています。

対して「1+0」の食器は、土練りから成形、釉掛け、焼成、仕上げまで、個人で活動するひとりの作り手(「1+0」では職人と呼ぶ)がかたちにするもの。「手作りの量産品」であるところに意味があると伊藤さんは考えています。

プレート
「1+0」のリムプレートL¥7,700、M¥5,500、S¥3,850。スプーンですくいやすいなど作家自身の食体験にヒントを得た使い勝手の良さを備える。大きいほうから、カレーやワンプレート料理、おかず用、取り皿として重宝なサイズ展開でカフェなどでも使われている。(問い合わせ:くらすこと 福岡平尾店https://www.kurasukoto.com/


限りなく作家ものに近い量産品

「1+0」の食器を始めるにあたり、伊藤さんが最初にしたのは、いつものようにろくろをひくことでした。頭に描いたデザインが手に伝わり、土と交わることで立体となった現物のうつわを職人と一緒に眺め、まずは佇まいを感じとる。その上で「リムのこの幅はこうして」「カップのふくらみはこの感覚でひいてみて」というように、具体的な方法を手から手へ、マンツーマンで指導していったと言います。「この手の感覚は、図面にできるものではないのでね。何度も繰り返し感覚を伝える以外、方法が浮かばないんです」という伊藤さん。時間と労力を惜しんで、図面化できない「その感じ」を伝えていくのです。

マグカップとソーサー
ソーサーごとぴったりと重ねることができるマグカップの構造は、協業する職人のアイデアから。伊藤さんの手を離れることでデザインが発展するのも、プロダクトラインの面白さだと語る。スタッキングマグ(小)各¥3,520、ソーサー各¥1,980(問い合わせ:essence kyoto https://essencekyoto.com/


プロダクト特有の匿名性に憧れて 

工業製品としていま世の中に出回っているあらゆるものは、江戸時代までさかのぼるとすべてが手作り。焼物でいえば、活気にあふれた当時の生活に必要なうつわや、壺、甕(かめ)など道具が日本全国で生まれた窯元や小さな工房で作られるようになったのもこの頃です。朝鮮から伝わった高い技術も手伝って、職人の手から良質な「手作りの量産品」が生まれていきました。

「江戸時代やそれ以前の職人仕事の匿名性に憧れている自分がいます」と言う伊藤さん。「そうしたうつわは、用途に徹していて作為がない。作家として伊藤環という名前で活動する僕には、至ることのできない領域なんです。驚きのある新作を出そうとか、いいデザインをしようとか、考えが入りすぎてしまいますから」。誰がどこで、どんな思いで作ったかという情報なんてなくとも、ただ美しくて使いたくなるうつわがあるのだ。そう思わせてくれたのが、職人による「手作りの量産品」でした。

実をいうと伊藤さん、焼物を生業とする家に生まれ、若い頃は、同じサイズの湯飲みやごはん茶碗を一日に300個もひくというような大量の作り方を経験しています。だから職人というスペシャリストが無心で作る手から、美しいものが生まれる道理は理解できる。たとえ自分で作らずとも、いや作らないほうが、江戸時代の焼物のように、100年経っても残り愛されるものが生まれるのではないかと感じているそう。

ひびの入ったうつわ
うつわのひび
工業製品のプロダクトとは一線を画す「1+0」は、手作業で「1+0」と刻印。釉薬には天然の灰を贅沢に使うためガラスのような表情や貫入(陶器特有の釉薬のヒビ割れ)も美しく入る。


手放すことで生まれる新しい価値

一方、30年ほど前から始まった、作家が作るふだん使いのうつわの時代を見てみれば、作家たちは、変化する食生活や生活様式に対して、いつも誰よりも敏感です。「こんなうつわが世の中にない。必要だ」とイメージを抱いたら、翌日には自ら試作できてしまうという彼らの圧倒的なデザイン力と造形の技は、日本のうつわ文化が誇る財産ではないかと感じます。

「1+0」が、湯飲みとごはん茶碗ではなく、マグカップとプレートという「いま欲しいかたち」から始まったということも、現代の陶芸家の仕事を象徴するかのよう。なぜなら、現代は、SNSなどを通じて、年齢やジャンルに関係なく個人が対等につながる時代。「1+0」は、2020年の作家仕事と江戸時代の職人仕事のつながりから生まれたコラボレーションです。作家というデザインと造形のスペシャリストが、そのスキルを自分の中に抱え込むのではなく解放して、職人というスペシャリストと協業し、相乗効果の中で美しいものが生まれていく。そこでは、作家自身が一度は消そうとした「伊藤環」という名前は、信頼という名の陰のサポーターとなり、新たな価値を持ちます。

うつわ
白いプレート
もともと伊藤環の作品で人気のデザインだった「デコプレート」は、今年から「1+0」に移行。プロダクトとなることで欲しい人の気持ちに可能な限り応えたいと願う。デコプレート(正方)¥8,800。うつわクウhttp://www.utsuwa-ku.com/


うつわ作家の数が飛躍的に増え、彼らの営みから使いやすいうつわが絶えず生まれている昨今。個人作家がプロデューサーとなるこのブランドのあり方は、作家が、自分の代に終わらない持続可能なものづくりをしていきたいと考える時のひとつのヒントとなると同時に、手作りのうつわを使う楽しみをより一般的に、多くの人に味わってもらうためのロールモデルとなるでしょう。


衣奈彩子 うつわライター/編集者
(プロフィール)
女性誌編集部を経て2005年独立、子育てをきっかけに家族のおいしい食卓に欠かせないうつわにはまる。なかでも同世代の作家が想いを込めたふだん使いのうつわが気になって仕方がなく、仕事とプライベートの垣根なく作り手と交流し取材を重ねる。うつわを中心に手仕事や暮らしにまつわるテーマで執筆の傍ら、作り手の思いを伝える書籍の編集にも携わる。著書に『うつわディクショナリー』(CCCメディアハウス)、編著に『料理好きのうつわと片づけ』(河出書房新社)
https://www.instagram.com/enasaiko/?hl=ja

撮影/白石和弘
http://shiraishikazuhiro.com/

伊藤環・陶芸家
(プロフィール)
1971年、福岡県生まれ。大阪芸術大学卒業後、走泥社の山田光に師事しながらオブジェとうつわを制作ののち、福岡に戻り陶芸家の父のもとで作陶。2006年神奈川県三浦市で独立、開窯。2012年には岡山県岡山市に移住。同年、職人との出会いをきっかけに、作家活動と並行してプロダクトブランド「1+0」をプロデュース。
http://itokan.com/
https://www.instagram.com/ichi_tas_zero/?hl=ja

>>大丸・松坂屋の5つの特別サービスとは?