音楽、芸術などあらゆるエンターテインメントが、コロナ禍によって存続の危機に立たされています。そんななか、10月2日に世界的ファッションデザイナーであるピエール・カルダンの生涯を映すドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル!』(副題:未来をデザインする男 ピエール・カルダン)が公開されました。世界中が試練を迎えているこのとき、数々の逆境を跳ね返し、ファッションに革新を生んできたカルダンの生きざまに、いま注目が集まっています。

この記事では映画『ライフ・イズ・カラフル!』で描かれるカルダンの数々の功績を振り返りつつ、日本屈指の「カルダン・コレクター」として知られる服部良夫氏にインタビュー。この偉大なデザイナーに惹かれる理由を語っていただきました。“知るほどに、もっと彼を好きになる。”ピエール・カルダンの魅力を紹介します。

ライフ・イズ・カラフル
『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』
10月2日(金)Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか現在公開中!
(C)House of Cardin - The Ebersole Hughes Company/配給:アルバトロス・フィルム/公式サイト:colorful-cardin.com


カルダンがつくった世界のモメンタム

2020年、自身のファッションブランドが70周年を迎えるピエール・カルダン。98歳となったいまでも現場に立ちカルダン・ブランドの采配を振るう彼が、傑出したファッションデザイナーであることは言うに及びません。そんなカルダンの功績を、改めて、振り返ってみましょう。

●モードの民主化:大衆向けの「プレタポルテ」を発売

ファッション界におけるカルダンの最大の功績ともいわれるのが、「モードの民主化」です。

かつて、ファッションデザイナーがつくる衣服は特権階級に独占されていました。彼らのオーダーを受けて縫製する服、「オートクチュール」を仕立てることがファッションデザイナーの本分だったのです。パキャン、スキャパレリ、クリスチャン・ディオールのもとで裁断の修行を積み、その類稀な才能を見出されたカルダンも例外ではありませんでした。

しかし、1950年独立後の1959年にカルダンは当時のファッション界に革命を起こします。つまり、オートクチュールのデザイナーとして初めてプレタポルテを発表し、デパートでも気軽に買えるようにしたのです。誰もが“宇宙”を夢見た1960年代。人々は、カルダンの発表した「コスモコール・ルック」に世界が熱狂しました。

●男性モード界に進出:ビートルズも愛用したカルダンのジャケット

1958年、カルダンは紳士ブティック「アダム」をオープンし、男性モード界に進出。「ファッションショーは女性のもの」という常識が残っていた時代に、新たな世界を開拓したのです。かのビートルズも、カルダンがデザインした“襟なしジャケット”を愛用して話題となりました。

また1958年はカルダンが初来日し、日本に立体裁断を紹介した年でもあります。モードの民主化、男性モード界への進出、そして東洋への関心の高まり。そこから、やがて「多様性」というひとつのキーワードが浮かび上がっていきます。

●多様性を世界基準に:国籍や肌の色にとらわれずにモデルを起用

現代も世界各国で人種差別問題は根強く、米大統領選挙でも論点になっています。しかし、カルダンは肌の色や国籍にとらわれずにモデルを起用し、“多様性”というファッションの新基準を打ち立てました。映画『ライフ・イズ・カラフル!』では、カルダンが起用してきた多様な人種のモデルたちが彼の人柄を語っているほか、カルダンに重用された日本人モデルの松本弘子氏も登場しています。

●ライセンス契約を導入:産業界に寄与

カルダンは飛行機やめがね、タオル、食器に至るまで、さまざまな製品にブランドロゴの使用を認める「ライセンス・ビジネス」の先駆として知られています。1968年、ライセンス契約によるライフスタイル全体のデザインを始め、彼は大きな成功を収めたのです。

日本ではピエール・カルダン・ジャパンが設立するよりも早く、世界一のカルダン・コレクターと名高い服部良夫氏が国内でカルダン・ブランドのライセンス商品の開拓を始めています。ライセンス商品は、「子ども服」「水着」「スリッパ」「ベルト」など。

ライセンス契約全般にいえることですが、ブランドイメージのコントロールが難しいなど否定的な見方をされる場合もあります。ですが、「中小メーカーをはじめ多くの日本の企業がライセンスによって救われた」と服部氏が語るように、日本産業界においてだけでなく、世界の産業界にも間違いなく大きな功績だったといえるでしょう。

●主義や思想にとらわれない:冷戦下に社会主義国でファッションショーを開く

カルダンは、冷戦が続いていたなか社会主義国でファッションショーを開催しました。1979年に中国で、1991年にはソビエト連邦で敢行しています。

現在、カルダンは110ヵ国でライセンス・ビジネスを展開。彼は、世界中にファッションの楽しさを伝えた“伝道師”としての顔も持っているのです。こうした功績は、彼が“ユネスコ名誉大使”として活躍していることからも窺えます。

●世界をリードしてきたピエール・カルダン

カルダンのファッション界に起こしてきた“革命”は、ここでは紹介しつくせませんが、その一つひとつが現代ファッションの方向性を定義づけたといっても過言ではないでしょう。

さらに彼の挑戦はファッションにとどまらず、映画、演劇、音楽にまでおよびます。自ら、劇場「エスパス・カルダン」を開いただけでなく、いま流行のデザイナーズ・ホテルも彼のホテル「レジダンス・マキシム」が先駆けだといわれます。

そんな数々の偉業の証言が語られているのが、今回公開となった映画『ライフ・イズ・カラフル!』です。

カルダンの指導を受けたデザイナーの森英恵氏、高田賢三氏、桂由美氏に加え、ナオミ・キャンベル、シャロン・ストーン、ジャン=ポール・ゴルチエなど著名人らが語る、スキャンダラスな天才デザイナーの素顔は必見です。

“世界一”のカルダン・コレクター服部良夫氏

本を手にする男性
カルダンに傾倒するきっかけとなった『パリ・モードの秘密』(講談社、著:セリア・ベルタン、訳:川本政子)の実物を見せてくれる服部良夫氏


ピエール・カルダン本人からも、服部良夫氏は「世界一のコレクター」と呼ばれています。服部氏は映画『ライフ・イズ・カラフル!』にもコレクターとして登場していますが、なんと出演のきっかけはカルダン本人が直々に監督に服部氏を紹介したことだったそう。

そんな服部氏が、カルダンを知ったのは1957年のことでした。

「オートクチュールの世界が描かれた『パリ・モードの秘密』(講談社)を読み、巻末に記されていたカルダンに注目しました。未来を見つめる彼の前衛的なモード。そしてモードの民主化を予感させる内容に衝撃を受け、まだ彼の作品も見ていないうちに惚れこんでしまったんです」(服部氏)

コレクションを始めた1960年代について服部氏は「パリのデザイナーといえば、クリスチャン・ディオール、ジャック・ファット、バレンシアガ、ニナ・リッチなどでした」と当時の雰囲気を振り返ります。初めてのボーナスでディオールのベルトを銀座和光に買いに行った際、隣のウインドウに展示されていたスクエアカットのカルダン・ネクタイに手を伸ばし、初めてカルダン・ブランドのアイテムを購入するに至ったそうです。

1965年12月には初めてパリを訪れ、カルダンに会う機会も。「5分ほど話しただけでしたが、感激しました」と当時を振り返って服部氏はいいます。その時のカルダンの印象について、「我々にはいつも優しく接してくれますが、社員には厳しく、みなさんピリピリしていました。ユーモアがあり、箴言(しんげん)めいた言葉を多く残し、悪戯っぽい笑顔がなかなか素敵な方」と服部氏は表現します。

「カルダンさんはとにかく一番が好きな方です。外国人デザイナーとして初めて勲二等瑞宝章をもらった際も、“勲一等をもらいたい”ともらしていたほどです」(服部氏)

語られるエピソードの端々から、常にファッションで世界をリードし続けるカルダンの独創性と、意志の強さが見えてきます。

ほかでは見ることのできないコレクションの数々

2020年に87歳を迎える服部氏は、いまも事業会社で代表をつとめる現役経営者。都内のオフィスやご自宅に、唯一無二のコレクションを所有しています。

コレクションのなかには1960~70年代のコレクションからあり、そのすべてが現在も魅力的に見える高いデザインです。最も希少なもののひとつとして、カルダンの初期を代表する「コスモコール」も見せてくれました。

また、服部氏は保管するだけのコレクターではありません。タキシードなどはいまもパーティに着ていくことがあるそうです。自ら身に着けるものとして一つひとつ収集してきたコレクションは、スーツやジャケットにとどまらず、ネクタイ、靴、写真、さらにはカルダンが設立したレーベルから出されたレコードまで、さまざまなジャンルにおよびます。

タキシードを手に持つ男性
服部氏が手にするタキシードは、ピエール・カルダンがデザインした1989年の作品。その色あせない高いデザイン性から、服部氏はいまでも着用している。


古いレコード
YELLOW MAGIC ORCHESTRAの曲をピエール・カルダンが選曲した際のレコードも、服部氏のコレクションのひとつ


数々のユニークなネクタイ
服部氏が所有する、カルダン・ブランドのネクタイの数々。フォルムや素材、柄などすべてがピエール・カルダンならではのデザイン


波瀾万丈、カラフルな人生を語った映画

10月2日に公開となった映画『ライフ・イズ・カラフル!』は、これまで自伝などのオファーを断り続けてきたというピエール・カルダンに初めて密着した初のドキュメンタリー作品です。世界各国から、カルダンに多大な影響を受けてきた著名人の面々が登場しています。特に、ジャン・ポール・ゴルチエ、フィリップ・スタルクの談話は貴重です。

もちろんカルダン自身も、映画の中で多くの言葉を寄せています。ファシズムが台頭する祖国イタリアからフランスへと一家で逃れた幼いころの記憶から、風雲児として高く評価されながらも、先鋭的過ぎてファッション業界から敬遠された苦悩、そして反撃。さらには、女優ジャンヌ・モローとの大恋愛、演劇支援のために情熱を注いだ劇場「エスパス・ピエール・カルダン」の開設。門前払いされたパリの老舗レストラン「マキシム・ド・パリ」をリベンジ買収したことなど、文字どおり“カラフル”な人生を語っています。

映画では語られない、カルダン成功の立役者

服部氏は、撮影中のP.デビッド・エバーソール&トッド・ヒューズ監督とのやりとりなどを交えて映画の魅力を語る一方で、日本におけるカルダン・ブランドの成功に大きく貢献した日本人女性の故・高田美(たかだよし)氏について触れられていないことについてのみ、残念だったと話しました。

写真家としても活動し、パリ・ファッション界、パリの社交界でも知られた存在である高田氏は、ピエール・カルダン・ジャパンの初代社長をつとめた人物で、服部氏にとっての生涯の恩人だといいます。高田氏は、映画で描かれるカルダン・ブランドのアジア戦略を支え続けた立役者でもあり、カルダンの懐刀でした。

「高田氏は、カルダンの歴史を語るうえで欠かせない日本人キャリアウーマンです。当時、世間のカルダン熱は現在のスター並みで、文化人である三島由紀夫氏、黛敏郎氏、式場壮吉氏、高階秀爾氏、奈良本辰也氏などがカルダンのファッションを身にまとい、当時の『平凡パンチ』『別冊平凡パンチ』などは毎号がカルダンの紳士服紹介で、特集も多々編集されました」(服部氏)

カルダンのファッションショーで日生劇場が満員になるほど盛況を博したことなど、語るときりがないカルダン・ブランドの実績はいずれも高田氏が仕掛けたもので、こうした実績は日本にとどまらなかったといいます。

カルダンから見えるのは、ファッションの可能性

「私はただ単にカルダンが好きなだけですよ。日常生活のなかでカルダンにかかわる情報があれば、自然と目に入ってしまうんです」(服部氏)

少年のように目を輝かせながら話す服部氏は、故・池田満寿夫氏をカルダンに紹介したり、親交のある北野武氏や鹿島茂氏、空山基氏などにもブランドの魅力を語り続けているそう。そんな幅広い人脈を持つ服部氏を見ていると、人と人とをつなぐ「ファッションの可能性」を感じずにはいられません。

だからこそ、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい人と人との関係が希薄になりがちないま、ピエール・カルダンと彼の伝記映画『ライフ・イズ・カラフル!』を見直すことに大きな意味があるといえるはずです。

それだけではありません。ファッションやエンターテインメント産業が苦境に立たされたり、人種差別などの社会問題が根深く残るなか、世界には不安が広がっています。ここまで見てきたように、それらを解決するヒントは、常に逆境を跳ね返してきたカルダンの姿勢にあるといえるのではないでしょうか。

これまで一切過去を振り返らなかったというカルダン。前進あるのみだった彼の人生から、私たちは、ファッションの持つ無限の可能性を知ることができます。


文・J PRIME編集部