ナッジ,ノーベル賞理論
(画像=taa22/stock.adobe.com)

環境省が5月1日、新型コロナウイルス感染症対策に、市民の自発的な行動変容を促す取り組みの募集を開始しました。これは「ナッジ」と呼ぶ行動科学の理論を応用して、人々が自発的に感染拡大防止に寄与する行動をとるような仕掛けを募集するものです。

ナッジ(nudge)とは「ひじで軽く突く」という意味です。米シカゴ大学の行動経済学の第一人者、リチャード・セイラー教授によって提唱された理論で、同教授が2017年にノーベル経済学賞を受賞したことによって、世界中から注目を集めました。

便器に記されたハエのマークはナッジ理論の成功例

ナッジは、行動経済学の理論で、人々が強制によってではなく、自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法のことを言います。

最も有名な成功例として、オランダのスキポール空港の例があります。同空港のトイレで、男性用の小便器のちょうどいいところにハエの絵を描いたところ、大幅な清掃費削減が実現したというのです。男性がハエの絵を狙って用を足したため、尿の飛び散りが抑えられた結果です。

行動経済学としてのナッジの定義

この例は、メディアでも伝えられ世界各地の商業施設などで、応用されるようになりました。セイラー教授の著書『実践 行動経済学』の中では、こうした事例を挙げた上で、ナッジについて「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素」と定義しています。

つまり、「するな」とも「せよ」とも言わずに行動を意図する方向に変えさせる方法という、ある意味で都合のよい方法であるということです。

こうした人間が持つ既知の思考のクセを利用して、人々の行動を変えるように仕向け、公共の利益に資する仕掛けを作っていこうというのが、いま地方公共団体や省庁で考えられていることなのです。

世界のナッジ応用例

ヨーロッパ各国の臓器移植の意思表示率ですが、デンマーク、イギリス、オランダ、ドイツがわずか4.7%~27.5%。これに対し、オーストリア、ベルギー、オランダ、フランスなどはいずれも98%を超えており、かなりの差がついていました。

これは、同意率が少なかった諸国が「臓器移植の意思がある人は、チェックを入れてください」というオプトイン方式を採っていたのに対して、同意率が高かった諸国は、「臓器移植の意思がない人はチェックを入れてください」というオプトアウト方式であったことによります。

自分が脳死した後、臓器を提供することのリスクを過大に考えるクセを逆手に取った例です。臓器を提供することが社会的によいことであることはわかっている、でもそのリスクは過大に評価されているので、リスクの存在を感じさせない質問の仕方に変えれば抵抗なく同意できるというわけです。

日本でのナッジ応用例

厚生労働省では、がん検診の受診率をのばすための工夫をナッジ理論に求めたパンフレットを作成し、自治体や健康保険組合など各保険者向けに配賦しました。タイトルは、『受診率向上施策ハンドブック 明日から使えるナッジ理論』です。

このパンフレットの中にある八王子市の例では、大腸がん検査キットを送ったのに期限内に検査を受けていない人に対して、「検査を受けないと来年は検査キットを送りません」というはがきを送ったところ受診率が上がったことが例示されています。

最初に紹介したように、環境省でもナッジを応用した動きを始めています。どうやら、ナッジは重要な政策戦術として着々とその地位を確立しつつあるようです。

ナッジは諸刃の剣だが期待感も強い

ナッジは、それを活用する者が悪用する可能性もあります。

米ウーバー・テクノロジーズが、今日の仕事を終えようとするドライバーに対し「あともう少しで目標達成」と通知を送っていました。これに「雇用の保護をほとんど受けることができないパートタイムドライバーを長時間労働にかきたてている」として、ニューヨークタイムズが批判する記事を掲載したのです。

このような「悪いナッジ」を、提唱者のセイラー教授は「スラッジ」と呼び、スラッジは一掃しなくてはならないと解いています。

また、環境省のナッジに関する説明資料の中にもスラッジへの注意に関してページが割かれており、国としても、政策手段として応用するにあたって気をつけるようにしているようです。

このようにナッジは、使い方によっては「諸刃の剣」ともいえますが、これまでの手法で行き詰まっていた各種政策を進める意味で期待感があります。今後の影響力を注視しておきたいところです。

文・J PRIME編集部

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