金属のような陶器の衝撃 安藤雅信の銀彩ピューター皿

うつわはおもに料理のためのものですが、作家が作るそれには暮らし方や社会の捉え方まで変えてくれるほどの思想があります。それを知ることはアートに心動かされる感覚ともよく似ていて、かかわることで自分の中の何かが変わるような体験。そんなうつわの「名作」をたどる連載の第3話は、安藤雅信さんの銀彩ピューター皿。

作り手&使い手の実感が生む新世紀のうつわのさきがけ

個人作家が普段使いのうつわを積極的に作り、制作の柱にすることは、この30年ほどの短い期間に起きた出来事(*1)。それは、変わりゆく食生活や生活様式の中で生じる「あったらいいな」を、作り手たちが同時多発的に形にしてきた歴史でもあります。陶作家の安藤雅信さんの制作歴は38年。作家による日常のうつわの草創期にあたる90年初頭からうつわを作り始め、「あったらいいな」のヒントを……、

金属のような陶器の衝撃 安藤雅信の銀彩ピューター皿
作家自身が使い込んだ傷や油の染み込みにより味わいを増したリム皿。黒銀彩丸渕平皿6.5寸¥11,000(税込)


西洋の古い食器に求めました。17世紀オランダのデルフト焼を写した代表作「オランダ皿」は、いまでは当たり前となった手作りのリム皿のさきがけ。やがて、活動拠点の岐阜県多治見市に「ギャルリ百草」を開店したことでも知られる安藤さんは、西洋化する日本の食生活に足りなかったリム皿やオーバル皿をいち早く提案した作家のひとりであり、衣食住という暮らしから社会を見つめ続けている作り手です。

作家自身が使い込んだ傷や油の染み込みにより味わいを増したリム皿。黒銀彩丸渕平皿6.5寸¥11,000(税込)
オーバル皿は、置くだけで絵になるうつわ。食物のほか小物を置いても。(写真は作家自身が使い込んだもの)銀彩ピューターリムオーバル皿¥8,800(税込)


西洋骨董を生活にいかす知恵としての銀彩

安藤さんがよく言うのは、バブル期を経て家庭料理も多国籍になり、和食にも洋食にも使え、お皿一枚に盛り込め、おいしそうに見せてくれるニュートラルなものが必要になった(*2)ということ。
そのニーズに応えつつ、オランダ皿以上に新しかったのは、まるで金属のように見えて陶器で作られた「銀彩ピューター皿」でした。

ピューターとは、錫を主体に鉛などを含んだ合金。ヨーロッパでは、ローマ時代帝国下のイギリスで金属器として製品化され、15世紀頃には、「貧者の銀」と称されるほど一般的(といっても実際はおもに富裕層が使用)に。17世紀に最盛期を迎えたといわれる食器です。

金属のような陶器の衝撃 安藤雅信の銀彩ピューター皿
ピューターは錫を主成分とし、アンチモン、銅などを加えて調合し、柔軟かつ強さもある合金。古物には鉛を添加したものが多い。右は、安藤さんの作品。左は、安藤さん所有の17世紀初頭イギリスのピューター皿。


安藤さんが古いピューター皿に興味を持ったのは、茶道の菓子器として使うためでした。江戸時代の茶人は、舶来品を茶道具に見立てたといいますが、そんな遊びの現代版として西洋の古物使いを楽しんだのです。

ピューターは、時代がさかのぼるほど鉛を多く含むため、菓子など乾物にはよくても、料理に使うのは避けたほうがよいといわれます。しかし古ければ古いほど、経年変化による味わいが魅力的。茶事以外の食のシーンでも使いたい気持ちが高まってしまった安藤さん。ならばいっそ「陶器で作ってみては」と考えました。

うつわを通して、新たな価値観を伝える作家

焼物は、古来、金属の祭器を模して作られました。しかし、それはおもに形を写すのであって、金属の質感まで焼物で再現しようというのは、安藤雅信さんならではのアプローチ(*3)。
「ものへの愛情が深まると、そのまま写したいという衝動に駆られるんです。鉛の含有率が多い古い時代のピューターは、銀色というより深いグレーで経年によりさらに鈍く光るのがいい。せっかく写すのなら使い込まれたその状態まで忠実に写しとりたかった」といいます。

金属のような陶器の衝撃 安藤雅信の銀彩ピューター皿
金属のような陶器の衝撃 安藤雅信の銀彩ピューター皿
高台まで全面に銀彩を施しできる限り金属器に近づける工夫を施している。


美大出身で彫刻を専攻していた安藤さんにとって、金属は身近なものでした。古いピューター皿を手本に新しいうつわを作るにあたり、その経験に焼物の釉薬の知識を応用して、上絵付け(素焼きの陶器に釉薬をかけ焼いたあとに、さらに上絵の具を塗る)の技法で鈍く光る色を再現。一方、彫刻出身だからこそ、普段からろくろではなく板状の粘土を型にあてて成形する「たたら作り」にこだわってきました。「たたら作り」が、一律の厚みを持つ金属器の形に驚くほどフィットしたというのも、このうつわが安藤さんの真骨頂となった所以です。運命的な出合いだったのかもしれません。

ピューター写しのうつわを初めて出品したのは、2003年、西麻布のギャラリー「桃居」でした。「桃居」は、1987年、うつわ作家の誕生という時代の変わり目に伴走するかのごとくオープンした店。オーナーの広瀬一郎さんは当時を振り返り、「銀彩を手がける作家は何人かいましたが、安藤さんのそれははじめから古色のついた、他の作家とは全く違う表情のものでした」といいます。「多くの作家さんが、日本を中心に中国や朝鮮の陶磁を参照するなかで、安藤さんのユニークさは、参照先が多岐にわたるところです。その自由さは、アートの世界を経由して焼物に参入したからでしょうか。そんな安藤さんの新作は僕にはいつも刺激的で、銀彩ピューターシリーズもそのひとつ。日本、東洋という枠を外したところで、現代の食文化を刺激してやろうという野心が垣間見える意欲作でした」とも。このエピソードには、まだ誰も気づいていないものの価値に眼を向け、うつわ文化を引っ張っていこうという、作家の志がうかがえます。

「古道具坂田」に影響を受けて

まだ誰も気づいていないもののなかに美しさを見出すという安藤さんの考え方には、東京・目白で「古道具坂田」を営む坂田和實さんの眼が大きく影響しています。坂田さんは、歴史的に価値あるものを扱う「骨董店」が主流の70年代に「古道具店」という名で店を開き、独自の視点でヨーロッパの蚤の市で買い付けたブロカントやアフリカのものなどを紹介。骨董的評価の定まったものではなく、各国の生活で使われながら残ってきた、なんでもない道具や使い込まれたもののなかに美しさを見出しました。

「オランダ皿」や「銀彩ピューター皿」の手本となった白いデルフト焼や経年したピューター皿は、おもに、この店で出合ったもの。坂田さんの審美眼に触れて、「暮らしのものを美しく変えていきたい」という安藤さんの考えは、強くなっていったのです。

そんな安藤さんのおかげで、私たちの食卓には、現代の「陶器」のピューターがあります。軽くて使いやすく、料理も盛れ、使うほどに経年変化も楽しめる。果物をのせれば、部屋の中にたちまち静物画のようなコーナーも生まれる一枚。そんなうつわを通して、時代の隔たりをぽんと飛び越える美しいものについて思い巡らすことができたなら、明日の食の楽しみ方が変わっていくかもしれません。

*1 1980年代までは、陶芸家の作品というと壷や茶陶など美術的価値の高いものが主流だった。
*2 『どっちつかずのものつくり』安藤雅信著 河出書房新社(2018)より。この本には、工芸、美術、生活を繋いできた安藤さんのものづくりの指針が綴られている。
*3 三重県四日市の萬古焼では、明治時代に総銀彩の焼物を作っていた。『知られざる萬古焼の世界』誠文堂新光社 (2015年)より。

 

衣奈彩子/SAIKO ENA
うつわライター/編集者
(プロフィール)
女性誌編集部を経て2005年独立、子育てをきっかけに家族のおいしい食卓に欠かせないうつわにはまる。なかでも同世代の作家が想いを込めたふだん使いのうつわが気になって仕方がなく、仕事とプライベートの垣根なく作り手と交流し取材を重ねる。うつわを中心に手仕事や暮らしにまつわるテーマで執筆の傍ら、作り手の思いを伝える書籍の編集にも携わる。著書に「うつわディクショナリー」(CCCメディアハウス)、編著に「料理好きのうつわと片づけ」(河出書房新社)
https://www.instagram.com/enasaiko/?hl=ja

撮影/白石和弘
http://shiraishikazuhiro.com/

安藤雅信
陶作家・「ギャルリ百草」廊主
(プロフィール)
1957年、岐阜県多治見市生まれ。幼少期より海外に憧れ、高校時代よりヒッチハイクと野宿の旅、武蔵野美術大学卒業後は、日本人の美意識への興味から焼物を始める傍ら、現代美術のアイデア探しにアメリカやタイ、ネパール、インドを放浪。1993年からうつわ作りをスタートし1998年古民家を移築して「ギャルリ百草」開廊。茶文化にも造詣が深く、近著にこれからの茶会を指南する『茶と糧菓』(小学館)がある。作品は、ギャルリ百草店頭やHPから購入可能。
https://www.momogusa.jp/

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