明日を変えるうつわの話 Vol.2

うつわはおもに料理のためのものですが、作家が作るそれには暮らし方や社会の捉え方まで変えてくれるほどの思想があります。それを知ることはアートに心動かされる感覚ともよく似ていて、かかわることで自分の中の何かが変わるような体験。そんなうつわの「名作」をたどる連載の第2話は、辻和美さんのグラス。

目の前にあるのは単なるガラス器? それとも……?

いま私たちが直面している今世紀最大のパンデミックは「目に見えない悪しきもの」との戦いですが、この経験を通して世の中にあまたある「目に見えない良きもの」に対して、いままで以上に敏感になり、その存在に感謝することができているように思えてなりません。有り体に言えばそれは、あたりまえの日常の中にある小さな幸せこそが尊いということなのでしょう。ガラス作家の辻和美さんは、こんなことになるずっと前に「目には見えないもの」を作品にそっと込めることを始めました。その作品とは?

明日を変えるうつわの話 Vol.2
茶櫃のようなコンテナに7つのグラスを収納したセットは、クリアガラスとスモーキーなガラスを合わせたあいまいな世界が美しい。と同時に茶道具を箱に収める日本文化も垣間見える。¥132,000(税込)


その作品とは、私たちが使わない日はないであろうグラス、暮らしのド真ん中に陣取る日用品です。辻和美さんは、グラスという小さな日用品からでさえ暮らしが変わっていくことを、私たちに教えてくれた人だと思います。

レッド、ブルー、オレンジ、ピンクなど色にあふれたもの、あるいは対照的に、黒と透明の組み合わせからミニマムでモダンな模様を施したもの、レトロなカットグラスなど、装飾があることで、透過して美しい影を作る光のありがたさにも気づかせてくれるもの。「うまく言葉にはならないけれど、見るのも使うのもなんだか楽しいんだよね」という、心が高揚する“点”を生活の中にポツポツと置いていってくれるようなグラスです。置かれた“点”は、やがて手持ちの他の道具ともかかわりを持つようになり、いつしか“線”となって暮らしをまろやかに包んでいきます。

人気のグラスが生まれた背景

辻和美という作家の手から初めて作品としてグラスが生まれたのは1995年。ガラス素材を扱う現代美術家として、オブジェやインスタレーションを中心としたコンセプチュアルな作品を、美術ギャラリーで発表していた時のことでした。広い空間を想定した美術制作に煮つまると、手のひらサイズのグラスを吹いたのです。それは、美術品を作るのに比べたら、随分と気軽で楽しい作業。会社員に置き換えるなら、デスクワークのあとにジョギングやジム通いなど、スポーツをするようなリフレッシュ感があったといいます。

明日を変えるうつわの話 Vol.2
明日を変えるうつわの話 Vol.2
グラフィカルな模様を施した「めんちょこ くろ柄」は、手仕事とプロダクトの間をいくような、しかし紛れもない手仕事のうつわ。めんちょこ各¥7,150(税込)


その時作ったのは、日本人の食生活に身近な蕎麦猪口の形をしたガラス器で、蕎麦や素麺にはもちろん、大ぶりのグラスとしてお水からウイスキーまで注げ、小鉢としてもよさそうなもの。「透明な吹きガラスの表面を黒いガラスのパウダーで覆い、黒と透明/半透明という制約の中で、削る、穴をあける、線を描くなどグラフィック的なアプローチで模様を描いていく手法を取り入れたため、工夫次第で頭に描いたどんな模様も表現できる。これまでにない“手作りのガラス”ができるなっていう感触がありました」と辻さん。

80年代のバブルの香りがまだかろうじて残っていたであろう95年。グラスといえば、ワインの香りをくゆらすような「透明・極薄・高級」なものが最高とされていたはずです。一方、日用のコップは量産ものがほとんどでした。そんな時代に生まれた、パリジェンヌの普段着みたいにエスプリのきいたボーダー柄やドット柄のカジュアルなグラスは、発明品といってもよいほどのものではなかったかと感じます。

いまでは「めんちょこ」として超人気の、この黒いグラスのシリーズは、発明品である証拠に、25年経ったいま見ても、抜群に新しいのです。

なぜ日用のガラスにこだわるのか

明日を変えるうつわの話 Vol.2
glass⇆plasticシリーズは、主に第二次世界大戦後の高度経済成長期にプラスチックへと変わっていった器たちを「ガラスに戻してやる」プロジェクト。手触りの滑らかさと影の繊細さにガラスの真髄を見る。グラス¥8,800(税込)


辻さんの作品を世の中に広めてくれたのは、雑誌「anan」、「olive」などで活躍し、のちに「ku:nel」(*1)の創刊にも関わった女性スタイリストたちだったと、ご本人は振り返ります。彼女たちは、2000年代という新世紀の始まりに刻々と変化を遂げた生活の価値観を、自分自身のライフスタイルに照らし合わせ誌面で体現しながら提案しました。その中に、たびたび辻さんのガラス器が登場したのです。なかでも食まわりのスタイリストとして活躍する高橋みどりさんは、日頃から雑誌などのスタイリングに辻さんの作品を用い、著書『うちの器』でも8ページにわたり紹介。「普段の生活のなかで薄いガラスの器は苦手だな…と思っていた時に安心感のある厚さと適度にシャレている器に出会った」「ガラスなのに元気がいい器」と言葉を寄せています。(*2)

時を同じくして、辻さんにも意識の変化が起こります。美術家としてのテーマはいつも「誰かのために、人の幸せのために」。90年代にインターネットが急速に発展したことにより「生身のコミュニケーションが足りていないんじゃない?」と感じて、それに気づかせるようなガラスアートに取り組んできました。だけどアートはいつもすこしだけ身体との距離がある。 「グラスを友人にプレゼントした時に、使うのが楽しくなるとか、食卓が明るくなったという声をもらってハっとしたんです。そこにあるだけで生きたコミュニケーションを生むものは、人の身体のすぐそばの生活の中にあるのかもしれない。そういうものを手渡していく行為こそがアートなのかもしれないって」。

それからは、異なる言葉を刻んだカップを紙で包んで手渡す365個の「おみくじカップ」(2001年)を皮切りに、シンプルなカットを施した宙吹きグラス「cut」(2002年)、工房のありったけの色をグラスにした「color」(2010年)、モランディの静物画のようにうつわの絵画的表現を試みた「STILL LIFE」(2014年)、プラスチック製品をガラスに戻してやるプロジェクト「glass⇆plastic」など、コンセプチュアルだけれど日常的に使えるガラス器を生み出していきます。

明日を変えるうつわの話 Vol.2
glass⇆plastic グラスセットは、7色のレインボーカラーにも密かな意味が。

生活のものこそアートだ

辻さんの作品には、すべてにタイトルがついています。これはいまでも“美術家として”生活道具に取り組んでいる証なのだと思えてなりません。さまざまな形で展開する「color」には、「差別という大きな問題にガラスコップという毎日の暮らし側から、色を使ってじんわりと入り込んでいきたい」(*3)という願いがあるし、7色のレインボーカラーをコンテナに閉じ込めるのは、ジェンダレスでフラットな世の中の実現へのエールでもあります。だけど……。

「コンセプトはありますが、それを声高にいいたいわけではないんです。自分としてそれがないと作れない。日用品であってもアートと思っているからなんでしょうね。使ってくれる方には、かわいいって思って買ってもらうだけで嬉しい。作品のテーマは直接目には見えないし、感じてもらえるくらいでいいんです」と辻さんはいいます。といわれても、タイトルを頭の片隅に置きながら、日用品として当たり前に使ってみたい。そんなふうに、明日うつわを変えたなら、見える世界が変わっていきそうです。

*1 「ku:nel」は「ストーリーのあるモノと暮らし」をテーマに2002年創刊。2016年コンセプトをリニューアル。
*2 『うちの器』高橋みどり著 KADOKAWA/メディアファクトリー(2003)
*3 Kazumi Tsuji+factory zoomer – “Rainbowder”展/ARTS&SCIENCEに寄せた辻さんの言葉より(2019)

 

衣奈彩子/SAIKO ENA
うつわライター/編集者
(プロフィール)
女性誌編集部を経て2005年独立、子育てをきっかけに家族のおいしい食卓に欠かせないうつわにはまる。なかでも同世代の作家が想いを込めたふだん使いのうつわが気になって仕方がなく、仕事とプライベートの垣根なく作り手と交流し取材を重ねる。うつわを中心に手仕事や暮らしにまつわるテーマで執筆の傍ら、作り手の思いを伝える書籍の編集にも携わる。著書に「うつわディクショナリー」(CCCメディアハウス)、編著に「料理好きのうつわと片づけ」(河出書房新社)
https://www.instagram.com/enasaiko/?hl=ja

撮影/白石和弘
http://shiraishikazuhiro.com/

辻和美
ガラス作家
(プロフィール)
金沢生まれ。4歳から日本画を習い、絵を描くことが好きで美大のデザイン科へ進学。卒業後、1年間のつもりでアメリカに渡るが、カリフォルニア カレッジ オブ アートのガラス科で学ぶうち、からだ全体を使って作る吹きガラスに引き込まれ3年半滞在。金沢に戻り卯辰山工芸工房の専門員をつとめ1999年にfactory zoomer設立。2005年にはショップをオープン。2010年から3年間、生活工芸プロジェクトチーフディレクターをつとめる。現在は国内外で展示会を開催。2020年7月には、京都の「kit」にてglass⇆plastic展開催予定。
https://factory-zoomer.com/

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