こだわりの極上品
ステーショナリーディレクターの土橋正さん。初めて買った万年筆は<ラミー>のサファリ。20代前半から万年筆を使い続けている。


ペンは使っている人の個性が出るアイテム。ビジネスシーンでも、会議中にメモを取る、礼状を書くなど何かと筆記する機会は多いはず。その時に何を手にしているかで他の人から一目置かれることも。機能的で美しい万年筆は、その期待に応えてくれる筆記具でもある。極上の万年筆とは何か。ステーショナリーディレクターの土橋正さんに自身の愛用の万年筆と、その魅力について聞いた。

思考のスピードについてくる1本。

文房具の商品企画や文具売り場のプロデュース、文具の魅力を紹介する書籍の執筆など、文房具まわりで縦横無尽に活躍する、ステーショナリーディレクターの土橋正さん。彼が原稿を執筆するときに使うのは、必ず万年筆。今、愛用しているのは<パイロット>カスタム823のB(太字)だという。

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プランジャー吸入機構式の<パイロット>カスタム823。土橋さんが選んだのはブラウンで、キャップと軸がスケルトン仕上げに。

 
本や連載など執筆をするときの草稿で、出番の多い1本。
「私はいまだに原稿は手書きなんです。原稿用紙に草稿としてカスタム823でバーっと書いて、その後にパソコンで清書、推敲するという方式。だったら最初からパソコンで書けばいいじゃないかと言われそうですが、漢字変換とかをしていると考えが止まってしまう。頭のなかのこれを書きたいというのをスムーズに写すには、万年筆に限ります」

そこには、万年筆ならではの他の筆記具にはない書き味があるという。
「ボールペンだと押して書くので筆圧をかけなくてはなりません。その点、万年筆はボールペンの6、7割の力でも十分書けてしまう。紙の上にそっと添えただけでも書けるくらい。なので、速書きができるんです」
手に負担をかけず、しかも考えたことを次々文字にできるので、原稿を書くときは万年筆が一番、使い勝手がいいという結論に落ち着いた。

土橋さんが文房具に求めるのは、とにかく機能的であること。特に筆記具は使っている時の存在が消えるものが理想だという。原稿を書くペンの一番の仕事は、文字を淀みなく、スピーディーに書けることであり、土橋さんにとって思考のままに書き続けられるのが、万年筆なのだ。

「中でもカスタム823は、ほどよい重さがあってバランスがいい。字幅は太いほうがなめらかに書けるのですが、太すぎると文字が潰れてしまう。私は太字を使っていますが、誰しも自分のデフォルトの文字の大きさがあると思うので、それが気持ちよく書ける自分に合った太さを選べばいいと思います」

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ペン種は字幅が細い細字(F)から、中字(M)、太字(B)の3種類があり、こちらは太字。ペン先は14K。一般に金のペン先のほうがしなりが味わえ、耐久性があるといわれている。

 

万年筆は、感情を伝える道具。

とはいえ、<パイロット>カスタム823をよく使うようになったのは、実はここ8年くらい。今はとても気に入っているが、その好みも絶対ではない。自分の中の書き味の好みも変化していく。なので、もしかすると来年、ヘビーユースしているのは違うタイプかもしれない。

「そこが万年筆の面白いところ。“この1本が究極です”と肩肘張らずにいろいろ使って書き続けている中で、その時、自分の手にしっくりくるものを選べばいいと思います」

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ルーペでペン先を眺める土橋さん。だんだんとペン先に面が出てくるのが楽しみだという。


カスタム823も8年間使っていますが、ここ数年でぐっと書きやすくなったのだという。
「私は朝に原稿を書くのですが、ルーペでペン先を見てから書くというルーティンがあります。ほんの少しずつペン先が馴染んで面が出てくる。これは万年筆を使っていく上でのご褒美みたいなもの。しかも、書きやすくなってくるということで、劣化ではなく進化なんです。それを書き味だけでなく視覚的にも楽しみたくてルーペで見てしまう(笑)。ペン先に自分が書いた証しである面が出てくると、よしよしという気分になってくるんです」

よく、“万年筆を育てる”という言葉を聞くが、まさにそれ。自分の癖がペン先に伝わり、それに応えてくれるのだ。また、土橋さんが<パイロット>を愛用する理由の一つに、日本メーカーだという点もある。
「もちろん海外メーカーのものも好きだし使っていますが、日本のものは日本語を書くことを前提に作られているので、ひらがな、カタカナ、漢字が書きやすい気がします」

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機能性を重視しているというだけあり、装飾性の強いものよりシンプルなデザインのものが並ぶ。万年筆は約40本持っている。

 

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1軍として使用しているものたち。左から<ペリカン>スーヴェレーンM800、<パイロット>カスタム823、<パイロット>743、<パイロット>742。


また、書く目的によってもペンを変える。
「例えば、一筆箋には<パイロット>カスタム743のウェーバリー(中字程度)を使います。ペン先がちょっと上を向いていて、紙にペン先を添える時のタッチが気持ちいいんです。手紙の宛名書きにはオーダーメイドした漆の軸のもの。極太字で、普通に書くと字が潰れてしまうけれど、宛名書きにはちょうどいい。そうやって、何を書くかによっていろいろと使い分けています」

さらに、万年筆は感情を伝える道具だとも言う。ちょっとした力加減でインクの濃淡が変わり、その時の気持ちがダイレクトに文字に表れる。
「ボールペンは常に一定の線が書けるので、感情よりも情報を伝えるのに適しています。そして、シャーペンや鉛筆は自分に伝えるためのツールとして使っています。多色ボールペンだと色数が限られているけれど、黒鉛の濃淡は無段階。重要だと思うことを濃く書くなど、自分にしかわからない暗号みたいなものけれど、物事を一目瞭然で把握できるんです」

人が一生の中で書ける文字数には限りがある。それを土橋さんは筆記人生という。せっかく書くのなら、適当にペンを選ぶのではなく、気に入ったものを使うほうが、その筆記人生は何倍も豊かになる。手書きの機会が少なくなってきた今だからこそ、万年筆を手にする価値はこれまで以上ともいえる。そしてまた、最高の1本を自分で育てるという喜びを味わえるのも、他にはない魅力だ。

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インクはそれぞれのメーカーの純正を使用。ブルーの濃淡が美しいと感じるそう。3〜4年で1本なくなるが、使い始めの日付と、それに紐づくエピソードを記しておく。


土橋 正
Tadashi Tsuchihashi
(プロフィール)
文具の国際見本市主催会社に10年間勤務。2003年に独立後、土橋正事務所設立。文具の商品プロデュース・文具売り場のディレクションを行う。著書に『暮らしの文房具』(玄光社)など多数。万年筆を選ぶために試し書きをする際は、店の許可が取れれば、いつも使う紙を持参し、座って書くといいとアドバイス。
http://www.pen-info.jp/

撮影/兼下昌典  構成・文/三宅和歌子

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